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エッセイ・コラム

浄土教の世界 3.中国の浄土教

斉藤 征雄

 浄土思想は中国に伝わり、二世紀以降浄土経典の漢訳が行われた。浄土経典は広く研究されたが、浄土教として確立したのは六世紀から七世紀つまり南北朝から隋、唐の時代に出た、曇鸞、道綽、善道によるといわれる。
 背景には末法思想がある。中国では南北朝の時代たびたび廃仏が行われ仏教は弾圧されたが、そのことをブッダの教えが行われなくなる末法の時代が到来したと認識した。
 末法の世は穢土であり、そこでは煩悩を自力で断ち切ることは無理である。すなわち、衆生は自らの力では悟りの世界へ到達することは難しいと考えるのである。

 曇鸞ははじめ、空の思想および誰もが仏に成りうる仏性を持つとする仏性思想の研究者だった。また途中、不老長寿を願い神仙思想にも傾いたが、五十歳を越えて浄土教に回心した。
 そして、インドにおいて龍樹が仏道修行には難行道と易行道があって、難行道は自力で悟るみち、易行道は仏の願力によって浄土に至る道としたことを基礎に、易行道こそが実践の道であるとした。つまり、阿弥陀仏は西方浄土を創りそこにすべての衆生を導くことを誓願し本願とした。一方すべての人間は仏に成りうる仏性を備えているのだから、衆生は阿弥陀仏の本願力に頼ることで成仏できるとしたのである。阿弥陀仏の他力に頼るという考えの基本には、すべてを空と観る空観があるとされる。

 道綽は四十八歳で曇鸞の碑に彫られた碑文に感じて浄土信仰に入ったが、曇鸞の教えをより実践的なものに発展させたといわれる。
 若くして北周武帝の廃仏を体験した道綽は、今こそ末法の世と感じていた。末法の世においては、煩悩を断ち切れない凡夫は罪悪にまみれて生きる。そのような衆生が救われる道は、阿弥陀仏の慈悲・本願に頼るしかなく、そのためにはすべてを捨ててひたすらに念仏を唱えることを説いた。自らは一日七万遍を唱え、人々には小豆をもって数える「小豆念仏」をすすめたといわれる。曇鸞を継承し、仏道修行を難行道の聖道門と易行道の浄土門に分け、末法の世には浄土門の易行道こそが適している、それが浄土教であるとした。

 善導は道綽の門に入り、末法五濁悪世に生きる凡夫は阿弥陀仏の本願に依らなければ成仏できないという道綽の教えを継ぎ、阿弥陀仏を称名念仏する浄土教の教理を確立したとされる。一心専念に阿弥陀仏の名を念じることを、仏道の正業としたのである。

 以上のように、インドで生まれた阿弥陀仏信仰は、中国において浄土教という形で確立し、それが日本仏教に極めて強く影響することになる。

(仏教学習ノート39)

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