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エッセイ・コラム

浄土教の世界 4.日本の浄土教(法然、親鸞)

斉藤 征雄

 浄土教は早くから日本に伝わっていたが、一般に広まったのは十世紀頃である。荘園制の崩壊、武士の台頭などを背景にして社会不安が日常化する中で日本でも末法思想が流行した。そうした中で空也や源信が、念仏を唱え死後に極楽往生を願うことを説いた。しかしこの時期の浄土教は、教理としては未だ未成熟な状況にあった。

 鎌倉新仏教は、臨済宗(栄西)、曹洞宗(道元)の禅宗二派、日蓮宗(日蓮)、そして浄土宗(法然)、浄土真宗(親鸞)、時宗(一遍)の浄土教三派である。この中でも法然と親鸞の思想は、その後の日本仏教に与えた影響の大きさからいっても特筆すべき存在といえる。

 法然は中国の道綽、善導の教えを基礎にして専修念仏の浄土宗教義を確立した。
 法然によれば、生死を繰り返す迷いの世界から離れるためには、自力聖道門ではなく他力浄土門に入るべきである。そして浄土門に入るには専ら阿弥陀仏の名を称えることである(称名念仏することが正業)。しかも念仏は、最低一回口で唱えればよいという。なぜなら衆生を誰でも平等に極楽浄土へ導いて救済することが阿弥陀仏の本願であり、阿弥陀仏の名号には、阿弥陀仏にそなわっている功徳の一切が収まっているからである。
 このように法然の浄土宗は、誰にも受け入れられる平易なものだったため急速に民衆の間に広まっていった。そのことが既成教団と朝廷の危惧を招き、後鳥羽上皇が、院の御所の女房が出家したことを口実に法然を土佐に、弟子の親鸞を越後に流罪としたのは周知のことである。

 親鸞は法然の教えをさらに進めて、絶対他力の教義を説いた。前提に徹底的な自己の罪深さの自覚があったとされる。ありていに言えば性欲への煩悩である。現に親鸞は叡山を降りて妻帯し、流罪になった越後でも恵信尼を妻にした。そして自ら「悲しき哉、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し(中略)恥ずべし傷むべし」(『教行信証』)と述べている。
 絶対他力信仰は、「悪人正機」の教えに凝縮する。「善人でさえ救われるのだから悪人はなおさら救われる」の善人とは自力で悟り求める人、悪人とは自分の罪業を自覚して他力を頼むしかないと思う者である。他力とは阿弥陀仏の本願力である。
 どうやっても煩悩を離れることができない憐れむべき衆生を救いたい、というのが弥陀の本願である。そのために弥陀は無限の永劫にわたって修行し仏としての功徳を成就された。その衆生を救うという真心が、ただひたすらそれを信じる衆生に回向されて、衆生は何の行をしなくても極楽に往生が可能になるのである。
 不浄造悪の凡夫でもこうして阿弥陀仏と同じ境地に至ることができ、極楽浄土へ往生することが即ち成仏することになるという(往生即成仏)。

(仏教学習ノート40)

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