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エッセイ・コラム

「奥の細道」翁道中記(その九 矢板~黒羽)

池田 隆

 十日目(平成二十九年三月十六日)
 快晴の朝を迎える。昨晩は食事が喉を通らぬほどに疲れた。だが一夜で無事に快復、朝食もしっかり取りホテルを出る。すぐに奥州街道(国道四号線)を東に折れ、旧黒羽街道へと進む。塩原方面を源流とする箒川の扇状地が目の前に開ける。白龍のような新幹線が視界を斜めに突っ切っていく。耕耘中の田圃や青い麦畑の先には冠雪の鶏頂山や那須連峰が輝く。
  かさねとは八重撫子の名なるべし 曽良
 この句に因み、馬上の芭蕉と馬追いの少女を刻んだ銅板レリーフが「かさね橋」の欄干に取り付けてある。芭蕉は歩き疲れ、この地で農夫に馬を貸して欲しいと嘆願する。農夫は「那須野は道を間違え易いので、この馬に乗って行き、馬が止まったとろで追い返し下さい」と述べ、馬追いに女童「かさね」を一緒に付けてやった。芭蕉はこの可愛い少女が忘れられず、後年に門人から赤子の名付け親を頼まれた際に、「かさね」と付けたという。
 旧道はやがて新道(国道四六一号線)に合流するので、それを避け右に迂回してみる。那須野ヶ原は予期していたよりも果てしなく広い。新しい広域農道が縦横に走っているが、歩くとなると距離がある。道を尋ねたくても人や店屋も見かけない。定めた目標の方角へ直線的に向おうと丘を越え、谷を渡り、あぜ道を歩き、鎮守の森では藪漕ぎをする。現代では農馬や馬追いはいないが、「道に迷いやすい土地柄」との農夫の助言は今でも通用する。
 この地域は嘗てゴルフ場のメッカでもあった。今ではコース一面が太陽光パネルで覆われ、大規模な太陽光発電所に変貌しているカントリークラブを見掛ける。景観はいささか損なわれているが、それも工夫次第で容易に改善できよう。大いに推進すべきエネルギー政策である。
 芭蕉が訪ねた那須与一所縁の那須神社へ立ち寄り、夕刻に黒羽の老舗旅館「花月」へ到着。那珂川の清流を見下ろす座敷で一服し、檜の浴に浸かり、多彩なご馳走と地酒に舌鼓を打つ。
 (8:00-17:30 45,300歩)

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