作品の閲覧

エッセイ・コラム

大政奉還と武士道

森田 晃司

 今年の10月で大政が奉還されて150年です。各地で各様の記念式典が企画されているようです。思えば、ひたすら西洋化に走ってきた年月だったと言えます。得たものも多かったのですが、失ったものも少なくありません。その最たるものは、先人が磨き上げてきた名誉を惜しむ高い精神性と云えるかもしれません。
 日本の西洋との出会いは、明治維新よりもはるかに古く、1543年の鉄砲伝来に始まり、続いて1549年にはイエズス会のフランシスコ・ザビエルがやってきます。当時、日本は黄金の国・ジパングとして西洋人の憧れの地であり、また、マレー半島のマラッカには世界中の商人が集まっていましたが、ここでも日本の評判は高く、ザビエルは豊かでしかも文化レベルの高い日本での布教を当て込んで、わざわざ来日したのでした。布教は必ずしも思惑通りとは行かなかったものの、ザビエルは日本人の名誉心、羞恥の心、道理に服することを知る知性などに高い感銘を受けています。
 また、34年間も滞在したルイス・フロイスは西欧人よりも日本人は優れた民族と評価し、女性も自由だと言っています。オルガンティーノも、ケンぺルも押し並べて武士の高い精神性と、その武士を敬う平民の姿を高く評価しています。
 江戸時代はオランダ人との交流に限られますが、幕末になって再び多くの接触が見られます。幕末から明治の初頭に来日し、武士の覚悟に触れて圧倒された西洋人も少なくなかったようです。
 武士道と云うと、命を軽んじ、君主に忠義を尽くすだけの古い教えと捉えられがちですが、人の道を尊び、何よりも自主独立の気概を重んじたようです。武家社会には“主君押込”と云う慣行もありました。領民の為にならない藩主は家臣が力を合わせて座敷牢などに監禁してしまう行為です。
 新渡戸稲造は海外の理解を得ようと明治32年に「BUSHIDO」を英語で出版しました。武士道の本質を説明するとともに、当時の日本において既に武士道精神が急速に失われつつあることを懸念もしていました。あの名著から118年の時が流れ、しかも大東亜戦争の敗北、占領政策、言論統制を経てきました。
 日本人の意識は大きく変容しています。人間の能力を上回るAIが開発されようかと云う時代ですが、一方で高い精神性が色褪せて行くとすれば、人類はどんな方向に進むのでしょうか。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧