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エッセイ・コラム

80歳。なにがめでたい

西川 武彦

 今年に入って傘寿を迎えた。平均寿命に達したのだから、お目出度いことではあろうが、なぜか時を同じゅうして、階段の上り下がりで手摺を頼るようになり、主治医の診断で、血圧を下げる薬二種類と、消化をたすける薬が常備薬となった。嫌っていた「お薬手帳」も、「万一の時に備えて…」という薬剤師の勧めが身に染みて、鞄に忍ばせることになった。
 一世紀近く生きた亡母が、80歳を過ぎる頃から薬漬けになっていたのを思い出し、この先を案じて慄然としている。

 読書量も漸減している。よほど気に入ったものでないと、最後まで読み通せないのだ。
 幸いにも近頃読み終えた一冊に、村上龍さんの「すべての男は消耗品である」(集英社文庫)がある。若い時代、内外各地で、遊蕩の限りを尽くしたと聴く同氏が、主に体験したこと、身近で見聞した類いの女と男の物語を、小噺風に綴った遊び心溢れるエッセイ集である。
 中で、「…元気がでるのは、何といっても女だ。女とアウトドア、それ以外に快楽はない。」とのたまう。アルコールが欠かせないとも……。
 レベルが違うとはいえ、筆者も志向は同じで、現役時代は各地で遊んだ記憶がある。
航空会社の国際線開発に関連した仕事が長かったから、多くの日本人旅客に先駆けて、海外を飛び回り、仕事の合間に束の間の快楽に耽ったのだ。国内での単身赴任時代もしかり。
 十数年前から書き続けて既に60点を超えた掌編小説では、似て非なる怪しげな物語ばかりで誹謗されているが、両足が立つのがやっとのようでは、諸事時効と勝手に解している。

 同時並行的に読み終えた一冊は、がらりと趣が違うベストセラー、井上智洋さんの「人口知能と経済の未来 ~2030年雇用大崩壊」(文春新書)である。表紙カバーの内側に「あらゆる人々が遊んで暮らせるユートピアか?一部の人々だけが豊かになるデイストピアか?AIの発達でほとんどの人が仕事を失う近未来を気鋭の経済学者が大胆に予測する」と謳っている。

 技術の革命的進化とその時代を制するヘゲモニー(覇権)国家の変遷を、第一次:蒸気機関→イギリス、第二次:内燃機関/電気モータ→アメリカ(ドイツ)、第三次:コンピューター・インターネット→アメリカ、第四次:IOT・3Dプリンター/AI・汎用AI→アメリカ、中国、ドイツ、日本?と分類、汎用AIで第四次産業革命が本格化するのは、2030年代と予測している。
 日本でも2045年には一割ほどの人間だけが働く純粋機械化経済に移行しているとか…。そうなると、スーパー・コンビニの店員から人間が消え、ゴミ回収、宅配は勿論ロボット。病院で熱を測るのも、いかがわしいマッサージや添い寝も並の人間様より出来が良い汎用AIロボット嬢が優しく施して下さる。
 卑猥な想像が脳内を巡るが、同書で展開される世界は、孫たちの時代の話で、80歳をこえた超高齢者は、その頃、天界から涎を垂らしながら見下ろすしかなかろう。
 衰えの目立つわが身を案じつつ、佐藤愛子さんのベストセラー「90歳。なにがめでたい」を捩って、「80歳。なにがめでたい」と、ご隠居は呟いている。

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