日本は“森の国”
日本は“森の国”です。縄文時代以来、豊かな森林に感謝し、森林を畏怖し、森林の恵みを活用しながら暮らしてきました。五千年から一万年以上前の遺物が多数発掘された福井県の鳥浜遺跡からは30種類以上の異なる材質の木製品が出てきました。古い時代から木の知識が豊富で、用途によって木種を使い分けていたことが分かります。
木は、文明に不可欠な貴重なエネルギー源であり、建築や各種の道具類の素材としてなくてはならないものでした。世界の古代文明は木を必要とし、森を背景として発展したのですが、人口増と生活の改善により木の需要は爆発的に増加し、木を乱伐し、挙げ句に森林を荒廃させて滅亡しました。日本でも縄文時代以来、文明は森から生まれ、育まれてきたのは同様ですが、日本の先人たちは、森の恵みを絶やさぬように、賢く森を荒廃から守り続けてきました。
徳川家康は小田原征伐後に豊臣秀吉によって、三河から関東への移封を命ぜられます。小牧長久手の戦いでは秀吉を撃退したほどの政治力・軍事力を持っていた家康でしたが、この命を受けて江戸に居城を開きました。当時、既に近畿や東海では荒廃気味だった森林が関東には豊富に残っていたことが、家康の決断の一要素だったとの説もあります。家康は木の重要性をはっきりと認識していました。
江戸時代は経済が発展し、人口は増加し、人々の生活レベルも向上し、木材の需要が飛躍的に増加、その過程で何度も森林荒廃の危機を迎えます。しかし、幕府は林奉行を設け、入山や伐採を制限する留山、留木などの令による治山、治水に努め、また、植林にも努めて森林を荒廃から守りぬきました。
欧米の先進国の森林率は各国とも10%前後ですが、日本のそれは67%です。OECD 諸国の内でも、フンランド、カナダなどと共に飛び抜けて高いのです。
明治以降、木材がエネルギーの主役の座を降りることで森林は荒廃から免れてきました。しかし、近年は逆に、薪炭への需要が激減し、その上、木材の需要の過半を輸入に頼ることで、国内の森林の管理が行き届かなくなって荒廃の危機にひんしています。
先人の努力によって守られてきた“森の国”です。木材の地産地消、エネルギー源としての見直しなど新しい工夫と智恵で“森の国”を守り抜きたいものです。