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エッセイ・コラム

器道楽

大森 海太

 大学時代の旧友N君は若いころから陶磁器に造詣が深く、リタイア後は奥さんの勧めで陶芸教室に通って自分で制作するようになった。去年のクラス会で、彼は自作のぐい飲みを皆にプレゼントしてくれたが、中々の出来栄えなので、あとになって私好みの焼酎マグを作ってくれないかと頼んだところ、他人(ひと)から注文を受けるのは初めてだと言って、喜んで引き受けてくれた。二ケ月ほどして彼は、気に入ってくれるかなと言いながら、大きさや釉薬を変えた作品を三つも持ってきた。今も晩酌に愛用している。

 いっぽう私自身は、昔から酒器や食器を買うのが好きだったが、自分で作ってみようと思ったことは一度もない。ひたすら日々の飲み食いを楽しくするために、会社の出張の合間などに、各地の窯元近辺や漆器の里を訪ねたり、陶器市やデパートに行っては、気に入った皿小鉢、銚子猪口などをアレコレ買い集めてきた。「器道楽」といえば聞こえがいいが、場所を取るのでカミサンの評価はあまりよろしくない。

 器に関して私の興味は、専ら酒肴を旨く味わうというところにあって、芸術性や市場価値に対しては関心がうすい。つまり使う側の求めるところは、作り手の意図とは必ずしも一致しないということである。例えば高価な盃の外側には芸術性の高い彩色が施してあっても、内側(見込)には何も描かれていないことが多いが、酒を飲むときいちいち盃をひっくり返して眺めることはまずあるまい。私の手元にある伊万里の小盃は、外面は無地で見込に瓢箪の絵が描いてあるだけであるが、秋の夜長にぬる燗を傾けるには良き友である。

 今年に入って新しい器に出会った。檜の間伐材で作った椀と皿である。材質が柔らかめなのでぼってりと分厚いが、赤褐色の芯材から削り出してあるため、同心円の年輪が自然の模様になっていて、数えてみたら四十本以上もあった。何の作為もない木材そのものであるが、朝の味噌汁や漬物には気分の好い器である。

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