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エッセイ・コラム

唯識思想 1.インド仏教哲学の最後の到達点

斉藤 征雄

 4世紀から5世紀にかけて、インド仏教に唯識思想(瑜伽業唯識派と呼ばれる)が生まれた。唯識の経典としては300年頃に『解深密経』が成立していたが、思想として大成したのは5世紀、世親(ヴァスバンドゥ)による。そしてその師は兄の無着(アサンガ)だった。この兄弟はバラモンの家に生まれ、最初は部派仏教において出家したが、先ず無着が大乗に転向し、後に世親が兄の勧めによって大乗に変わったといわれる。
 無着は、弥勒(マイトレーヤ)菩薩に教えを受けたとされる。弥勒はブッダの次の仏になることが決まっている菩薩だが、歴史上実在の人物かどうかについては見解が分かれる。新しい思想を説くにあたって、架空の菩薩の権威を利用したとも考えられるのである。
 世親は、部派の時代から学者として優れ、説一切有部の教理を批判的に解説した『倶舎論』を著した。『倶舎論』は今日でも仏教教義全般の教科書として広く学ばれる大著である。大乗に移った後は、兄の理論を受け継ぎ発展させて唯識思想を体系的に完成した。

【唯識思想】(経 典)
:『解深密経』
      (論 書)弥勒著
:『瑜伽師地論』『大乗荘厳経論』『中辺分別論』
           無着著
:『摂大乗論』
           世親著
:(『倶舎論』)『成業論』『唯識二十論』『唯識三十頌』

 仏教が成立したのが紀元前500年前後と考えれば、唯識思想が完成したのはその1000年後である。前半の500年に、原始仏教の時代、部派仏教のアビダルマを経て大乗仏教が生まれ、後半の500年に大乗仏教は発展し、空の思想の中観派そして唯識思想の瑜伽業唯識派へと展開したのである。
 この後7~8世紀にかけてインド仏教では密教が隆盛するが、密教の哲学的、教理的基盤は中観、唯識の思想といわれるから、唯識思想はまさにインド仏教哲学が辿りついた最後の到達点といえる。したがって唯識思想には、仏教哲学の最も成熟した姿を見ることができるともいわれる。
 世親の後、唯識思想は安慧(スティラマティ)、陳那(ディグナーガ)、護法(ダルマパーラ)らの論師によって継承、展開されていった。
 護法は、世親の著した「唯識三十頌」を注釈したが、中国からインドに渡った玄奘三蔵はそれを中国に持ち帰り翻訳して『成唯識論』とした。これを宗典としたのが法相宗である。法相宗は、奈良時代に南都六宗の一つとして日本に伝わり、以来今日まで興福寺を中心としてすぐれた学僧を輩出した。法相宗は、仏教を学ぶ者にとって基本的基礎学といわれているとのことである。

(仏教学習ノート41)

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