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エッセイ・コラム

松の根っこと砂糖

志村 良知

 大型乗用車用の10倍以上の排気量がある航空機用ガソリンエンジンは、高出力を稼ぐのに回転数ではなく、圧縮比によっている。高圧縮比エンジンはノッキングしにくいハイオクタン・ガソリンを必要とする。また、高空ではシリンダー内の燃焼に必要な空気が希薄なために、空気を圧縮して押しこむ過給機が必須である。日本は、このハイオクタン・ガソリンと、過給技術が遅れていた。大戦後半の米軍機では実用化されていた、100オクタンガソリンを排気タービン駆動過給機(ターボ・チャージャー)で大量の空気とともにシリンダー内に押し込む、などという技術は夢のまた夢だった。

 ガソリンの原料は石油(原油)である。戦前と戦中の石油統計を見ると、日本は石油の為に戦争を始め、石油の為に戦争に負けたのであることが良く判る。
 シーレーンの壊滅で、一時は我がものとした南方石油が入って来なくなった日本本土では、航空機用ガソリンの原料を松の根っ子と砂糖に求めた。
 松の根っ子を乾留して採れる松根油のことは、戦争中の話として必ず出てくる。しかし松根油すなわちガソリンではない。これをガソリンにするには、環状化合物の混合物である松根油を精製し、環を開いて直鎖炭化水素とし、さらに水素を添加して飽和炭化水素にする必要がある。この研究はまず海軍燃料廠で行われ、後に陸軍燃料廠でも行われた。しかし、研究者たちは松根油から当時の陸海軍の標準であった91オクタンの航空機用ガソリンを作るのは無理だと思っていたようである。陸軍の松根油ガソリン試作品は自動車エンジンを低速で回すのがやっとだった。

 戦争中砂糖が消え、国民が甘いものに飢えた話もよく聞かされた。砂糖は、国内生産の半分以上がガソリンの原材料に回された。砂糖を醗酵させてブタノールにし、これを化学操作でガソリンにする。この研究も海軍と陸軍の燃料廠で行われた。陸軍の研究者の一人に、後のノーベル賞受賞者福井謙一技術大尉がいた。福井博士のノーベル賞は化学反応と電子の関係を究明した功績に対してであるが、当時は化学反応を安定して効率良く進める触媒や反応条件、すなわち化学工学的な研究をしていた。

 陸海軍の燃料廠はともに当時集めうる限りの化学者と化学技術者を擁した大きな組織だった。学究的だった海軍燃料廠は戦後、大学の化学教育に人材を輩出し、化学工学的研究に重点を置いていた陸軍燃料廠出身者は、戦後日本の化学工学と化学工業の発展の礎になったといわれる。銃後の小国民たちの松の根っ子掘りも、甘いものへの我慢もまんざら全くの無駄だったというわけでもなかったようだ。

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