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エッセイ・コラム

過ちは繰返しませぬからⅠ―この主語は?

内田 満夫

 今年も原爆の日が巡ってきた。広島の原爆慰霊碑の碑文には、「安らかに眠ってください過ちは繰返しませぬから」とある。この主語が何を指すかについては、過去に様々な議論があった。その当否はさておき、主語をいろいろに置き換えてみて、思うところを呟いてみたい。
 主語を「原爆投下国」と考えてみる。当の米国の世論調査では、日本への原爆投下を正当視する見方が今でも半数を占めるという。その主たる理由は、戦争を早期に終結させるためにやむをえなかったというものだ。しかし投下する前と後とでは、核兵器に対する見方が大きく変わったはずである。これほどの惨禍と長く続く被爆者の苦しみを目にして、心ある人々は己の罪の恐ろしさに震撼したことだろう。投下を命令した大統領のトルーマン自身が、その結果に肝をつぶしたという。
 世界の近代史のなかで、原爆投下はホロコーストと並ぶ悪魔の所業だ。核兵器の行使は、今や一種の狂気がなければできることではない。しかしその悪魔の兵器の行使を声高に叫ぶ国が近くにある。周辺国への威嚇もますますエスカレートし、他国の都市を壊滅させる映像まで流して挑発を繰り返している。ミサイル発射実験の成功に興奮して踊り狂うその国の市民の映像は、緒戦での連戦連勝に狂喜して提灯行列したかつての日本国民の姿を思い起こさせる。
 対峙する米国の指導者はあのトランプ大統領である。過去の原爆投下を肯定する国内世論のもと、いつ核兵器の引き金を引きはしないかと気が気でない。狂気の集団を覚醒させるには今のうちに致命的な鉄槌を下すしかない、との考えが頭をもたげかねないからだ。狂気をもって狂気を制す、これが杞憂に終わることを祈りたい。
 最後に問いたい。仮定の話であるが、もし日本がその能力を手にしていたら、その行使を自制することが果たしてできただろうか?わが日本が世界最初の核兵器行使国にならずに済んだのは幸いだった。

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