作品の閲覧

エッセイ・コラム

筥崎宮 放生会(ほうじょうや)

大平 忠

 筥崎宮は、日本三大八幡の一つであり、戦いの神様である。ソフトバンク・ホークスは毎年全員参詣して勝利を願う。今年はご利益があって優勝した。博多駅からJRで二つ目が箱崎駅、九大キャンパスは伊都へ移る前はここにあった。
 筥崎宮の「放生会」は、「博多どんたく」「博多祇園山笠」と並んで、博多三大祭りの一つである。昨年の9月、初めて見物して、その屋台の多さと人混みに度肝を抜かれた。今年は二度目である。

 この「放生会」は、7日7夜続く。今年は5日目6日目の土日に台風が接近して散々だった。最終日の敬老の日18日は、幸い台風一過の快晴、汗ばむほどの1日だった。土日来られなかった人たちも、この日に押し寄せ大盛況だった。

 「放生会」については、「仏教の不殺生の思想に基づいて、捕らえられた生類を山野や池沼に放ちやる儀式」。と広辞苑には書いてある。仏寺だけでなく神社でも広く行われるようになったとか。筥崎宮の放生会は、どういうわけか「ほうじょうえ」と言わず「ほうじょうや」という。なぜか知らない。

 この祭りの名物は何と言ってもその屋台の数の多いことである。ざっと500軒というが、いや最近は増えて700軒に近いという説もある。全国共通の焼きそば、お好み焼きの屋台の他に、さすが福岡だけあって太宰府から出張の梅ヶ枝餅の屋台も出ている。珍しいのは季節ものの新生姜を売る店だ。高価だが、縁起物なのか買う人は多い。今年初めて見たのは電球ソーダ水という代物である。電球の中にソーダ水が入っているだけだが、電球が色鮮やかに光っている。なんでも韓国で人気が出てやってきたとか。何軒も出ている。数としては焼きそばに匹敵するだろう。
 筥崎宮の本殿から、一直線に海辺へ向かって約1kmの参道が走っている。その両側に屋台はぎっしり並び、さらに参道から横へ出る支道にもはみ出ている。これだけの数の屋台が並ぶ祭りは日本一ではないだろうか。ともかく壮観だ。

 また、道とも広場ともつかぬ一劃は、見世物小屋、射的場などがひしめいている。「お化け屋敷」からは「きゃー」という子供の声がスピーカーで増幅されて聞こえてくる。小屋は他に河童、女マジシャンなどややゲテモノを見せる「見世物祭り」、「大人の迷路」などの看板がある。どういうわけかいずれも店先ではかなりの歳の婆さんがしわがれ声で客寄せをしている。かつて客寄せは看板娘と決まっていたが、後継ぎがいないまま今日に至ったのだろうか。これは余計な想像である。
 生類憐みの祭りというのに、金魚すくい、蟹釣り、うなぎ釣りまである。掬ったり釣ったりするのは命まで取らないから許されるのだろう。
 射的場がこれまた多種多様である。昔ながらの弓矢の他にアーチェリー、鉄砲、野球のボール、それぞれ子供ばかりか大人もやっていて結構どの店も流行っている。大人は当てて賞品を取るより祭り気分を楽しんでいるようだ。
 この一劃に入り込むと、なんだか、時代も場所も感覚が麻痺する。一瞬、子供の頃の田舎の祭りに帰ったような、あるいは一昔前の浅草のロックに紛れ込んだような不思議な世界だ。

 途中、屋台で一休みしてお好み焼き、焼きそばをつまみ、ビールを飲んだ。梅ヶ枝餅も旨かった。また雑踏へ乗り出し、きょろきょろしているうちにあっという間に時間は経ちすっかり草臥れてしまった。気がついたことが一つある。我々夫婦のような年寄りは極めて少なく姿を見かけないことである。なるほど、人混みは疲れる。長年「放生会」に通って様子も分かり、「もう行かんでいいばい」と、子供夫婦と孫たちを送り出して留守番しているのだろう。
 来年は、我々はどうしようか、もう止めようか、いや元気であれば、また行こうじゃないかなどと話しながら、家内と重い足を引きずって家路についた。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧