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エッセイ・コラム

衆院選雑感Ⅱ―名を捨てて実を取らねばならぬのは

内田 満夫

 共産党が与党政権に対する一方の対決軸の核となるために、真っ先にやらなければならないのは党名の変更だ。「共産」という名称から連想するのは、暴力革命、独裁、粛清、言論弾圧、連合赤軍、旧ソ連・中国の記憶など、ろくなものがない。戦後の一時期に武装闘争方針を採ったこともあり、同党はいまだに「破壊活動防止法」の対象として公安当局の監視下にあるのだが、これも同党の伸張を阻んでいる。
 同党の政策や国会論戦などを見ていると、生活者目線に立った至極もっともな主張ばかりで、言動にも筋が通っている。引っかかるのは根拠のあいまいな負のイメージだけだ。党名変更の期待や要請は党内外から強いようだが、指導部が頑としてそれに応じないらしい。思想に対するオマージュ、弾圧に屈せず守り抜いた党名に対する誇りが捨てられないようだ。しかし史的唯物論にもとづく将来の共産社会は学説上の話だ。看板にあえて「共産」を掲げる必要はない。
 この点は公明党を見習うとよい。同党は信仰に立脚する政党であるが、看板に宗教色を掲げてはいない。党名の「公明」(英語名には”Clean”が含まれる )に、現実政治に向かう同党の理念が込められている。大英断の時期に、いよいよ共産党もきているのではないだろうか。手垢のつかない平易、斬新な党名に変更して、民主的な選挙を通じて社会改革を目指す方向を宣言すべきだ。そのことによって初めて、保守勢力に対峙する対立軸としてのブランドを確立できることになるのではないか。そうでないと、いつまでたっても政権参加の機会は訪れず、今後も支持者の期待を裏切り続けることになりかねない。
 国民・有権者は、与党勢力に対するしっかりした対立軸を切望している。某野党党首の、「名を捨てて実を取る」から始まった今回の衆院選。名を捨てて実を取らねばならぬのは、ほんとうは共産党のようである。

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