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エッセイ・コラム

さび抜き

西川 武彦

 お寿司が大好きである。週に一度は、出かけた序でに、握り寿司のセットを求める。
 先日は、渋谷駅の地下にある東急のれん街で値頃なのをみつけた。値段の割にネタがどれも分厚い感じで嬉しい。ところが、開けてびっくり、サビ抜きだったことが分かってがっかりした。最近はこの種が多いから情けない。
 ネットで調べると、わさびを寿司ネタとご飯の間に挟むのは、生魚のくさみをとるためと、生鮮技術が今にくらべて低かった時代には薬のような役割もあって、その名残とか。今ではお役御免になったそうである。若者、子供たちが嫌がるのも背景にあるようだ。
 寿司や刺身は、わさびがツーンと鼻にくるのがなんともいえず、慌てて鼻をつまんだり、濃い緑茶を啜ったりするのが日本の食文化だと信じていたご隠居には、世の移り変わりが悲しく、寂しい思いである。納豆からあの特有な「臭い」が消され、快い「匂い」でも漂ったらいかがなものであろうか。
 大手回転寿司でも「全皿さび抜き」を売りにしているようだ。もっとも例外はあって、筆者は、東武池袋線の東武練馬駅北口のイオンの5Fにある「魚屋一代」の回転寿司を愛している。チェーン店ではない。そこの板前の親方が早朝横浜の魚河岸で自ら仕入れるという、見るからに美味しそうなネタを、少な目のご飯にたっぷり載せて握ってくれる。勿論ワサビが挟んである。亡母が入居していた施設から近く、よく連れて行ったのが懐かしい裏事情もある。毎月一度は、三十分余り車を走らせて通っている。

 連れ合いが不在の夜、出先から戻る電車の中で、なぜかそんなことを思いめぐらせながら、夕飯は寿司にでもするかと、なにげなく目の前に貼られていた広告を観て仰天した。
 朝、出勤前の髭剃り時間をなくし、五分でも早く出社するため「ひげ抜き」をしませんか?…、と誘っているのだ。脱毛である。ネットで調べると、三回一万円でできるという。アンドロイドではない生身の男に、男性の象徴ともいうべき髭を抜けとはいかがなものであろうか。こうなると、たまにはセックスの気分をかえて刺激を求めるための「下の毛抜き」の広告が現われるかもしれない、と傘寿のご隠居は寂しく呟いている。

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