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エッセイ・コラム

恩師に学ぶ(③鬼の目に涙)

安藤 英千代

 厳しい怖い財部先生でしたが、卒業時クラス全員で釣りの大好きな先生に感謝の気持ちとして釣竿を贈った時、先生の目から溢れた大粒の涙が全てを語っていました。心を鬼にして厳しくされた先生の思いは全て生徒に通じ恨みに思う生徒は一人もいません。卒業後も悩みを抱えた教え子たちが沢山相談に訪れました。私も社会人となってからも故郷に帰省すると真先に先生宅を訪問し、そのたびに新たなことを教わり元気づけられました。
 「君たちは、戦後最も生徒数の多かった世代で、田舎の中学校にも関らず一学年350名、50名学級が7クラスもあった。(現在一学年60名、30名学級が2クラス)僕達は一人の落伍者も出さないよう必死だったが、君たちもしっかりと応えてくれた。中卒で集団就職する生徒が6割以上だったが夜間高校に通い、また国立大学5名、高専3名の合格者を出し、みんな立派な社会人になって活躍している。君たちがあの中学校の黄金期を作ってくれた。それが僕の一番の誇りだよ!」と終生語っておられました。その姿を思い出すと今も涙が止まりません。

 先生は、その後長く校長先生を務められ、定年退職後は知的障害者福祉に尽力されました。当時県内になかったダウン症者施設開設を関係部署に働きかけて初設置に漕着け初代園長になられました。「僕が登校すると皆が、園長先生!と抱き着いてくるんだよ。」と感動を話される先生の姿は、とても眩しく益々尊敬しました。
 先生は、園長退任後も民生委員として一人暮らしのご老人を訪問巡回され地域福祉に尽力されましたが、間もなく肺の病に冒され入退院を繰返すようになりました。最期の数か月は呼吸困難の為に横にもなれず、ベッド上の胸卓に突伏して辛うじて呼吸する苦しい状態が続き、奥様と二人の息子さんが交替で背中を撫でながら励ます懸命の看病が続きました。奥様は、「あの2か月は、私も辛くて殆ど睡眠を取れませんでした。」と言っておられました。
 先生の苦しそうな晩年の姿を思い出す度に、『これほど人に尽くし感謝され尊敬される素晴らしい人に、神様は何故こんな残酷な仕打ちをされるのか・・・』と思います。しかしあの先生の事なので「そんなことは考えるな。最愛の家内と息子達に看病されて過ごした2か月間は、家族の強い絆を感じながら最も充実した幸せな濃密な時間だったよ。」と言われるに違いありません。

 お別れしてから20年、私の心の中で、

「周囲の人が幸せになるように精一杯働いているか?」
「いつも太陽のような暖かい心を忘れてはいけないぞ!」

 と、いつも叱咤激励される先生の声が聴えます。
 そして少しでも先生に近づきたいという思いが深まる毎日です。

仰げば尊し 我が師の恩  教えの庭にも はや幾年
思えばいと疾し この年月  今こそ別かれめ いざさらば

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