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エッセイ・コラム

唯識思想 7.存在の三つの形態(三性説)と転識得智(悟り)

斉藤 征雄

 悟る、とはどういうことか。唯識思想は、悟りの構造を次のように説明する。
 あらゆるものは、三つの有り方(形態)において存在するという。すなわち「他に依存する存在形態」(依他起性・えたきしょう)、「仮構された存在形態」(遍計所執性・へんげしょしゅうしょう)、「完成された存在形態」(円成実性・えんじょうじつしょう)の三つである。これを「三性説」という。

「他に依存する存在形態」・・・
アーラヤ識を因として現れては消える(刹那滅)現象世界。縁起によって成り立つ世界。したがって、空である。(A)

「仮構された存在形態」・・・
本来、空である世界を、心(識)が自我と物に執着する結果、実在と思い込む、煩悩の世界 。(B)

「完成された存在形態」・・・
修行によって自我と物に対する執着から脱した世界。空、真如、涅槃などと呼ばれる、いわゆる悟りの世界。(C)

 三つの存在形態は、並立して別々に存在しているのではない。一つのある存在が、われわれのかかわり方に応じて形を変えて現れると考えた方がわかりやすい。
 仮に三つの存在形態を、それぞれA、B、Cとする。
 Aは本来、空である。しかしわれわれ凡夫は、本来空であるAの世界にありながら、「虚妄なる分別」により自我と物に執着してそれを実在と思い込む、煩悩の世界Bにいる。
 Cは悟りの世界である。現象世界Aが本来、空であることを観じ、自我と物に対する執着から脱して、ありのままの姿が見えるようになる。Cは内容的にはAと同じと考えてよい。
 三つの存在形態論(三性説)は、仏教教理の核心である縁起の世界(A)を要として、そこから煩悩の世界(B)と悟りの世界(C)を位置づけているといえる。

 悟る、とは、BからCへの転換を意味する。「ただ識のみ」の煩悩の世界から、完成された悟りの智慧の世界への転換、すなわち識から智への転換であるから「転識得智」という。
 では「転識得智」は、いかにして可能か。われわれの心の中のアーラヤ識には煩悩の種子を宿している。したがって、アーラヤ識の煩悩の種子をいかにして取り除くかが、唯識思想の悟りの構造の鍵となる。
 そして鍵は、瑜伽行にある。

(仏教学習ノート47)

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