作品の閲覧

エッセイ・コラム

懐かしの「特採」

内田 満夫

 日本を代表する製造業における検査不正やデータ改ざんが表面化して、大きな騒ぎとなっている。そんななかで、私には響きの懐かしい「特採」なる業界用語も飛び出してきた。「特別採用」をつづめて「特採」と言うが、およそ製造業に携わったことのある者なら、たいていは耳にしたことがあるはずだ。
 金属メーカー勤務現役のころ、担当する金属部品の納期、原価、クレーム対応に、私は毎日追われていた。得意先が主に電気メーカーだったこともあり、なかでも苦しいのは納期である。生産能力の限界に近い状態で工程が稼動しているので、厳しい納入要請に応えるため年がら年じゅう四苦八苦していた。そんなだから客先との品質保証上の取り決めを、納入計画達成のために暫時調整せざるをえない場面が必ず出てくる。いわば「アウトレット」品の出荷だ。
 その場合には客先に事前に申告して承認を得たうえで、期間限定あるいはロット(ひとかたまりの製造単位)限定で出荷・納入させていただくことになる。けっこう頻繁にこの「特採申請書」を書いたものだ。客先でも工程計画に余裕のない状況は同じだから、たいていは説明に納得し裁可してくれる。アウトレット品といっても、使用には何ら問題のない水準の製品だからだ。
 出荷品には、客先とあらかじめ取り決めた納入仕様にもとづいて、検査成績を添付するのが決まりである。検査で規格外の数値が出たときに、客先に断わりなく鉛筆を舐めるとデータの改ざんということになる。客先の納入要請がいかに切実だとしても、また自社工場の工程能力と品質実績にいかに自信があろうとも、そこで悪魔の囁きに負けてはならないのだ。報じられているように客先に断りなくそれをやったのでは、企業間の信頼は根底から覆ってしまう。
 製造業の宿命とはいえ、納期と並んで厄介なのがクレーム対応だった。「再発防止に努めます」などの通り一遍はいっさい通用しない。不具合発生の原因究明とその是正の具体的な手だてまで、徹底的に追及された。納期とクレーム、今も夢でうなされることがある。これに追いまくられて苦しくはあったが、いっぽうでは張りのあった現役時代の日々が、今は懐かしい。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧