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エッセイ・コラム

さちのこと

八木 信男

 私の夢は数学の絵本を作ることである。といっても今までに1冊しか作っていない。鶴亀算をわかりやすく説明した絵本だ。絵はセミプロの画家に頼んだので絵は立派な手作りの絵本である。次は、自分の版画で作ろうと思っている。
 授業で担当した生徒にさちがいた。運動クラブに入りいつも明るく元気な顔が印象に残っている。2年生になって、さちは突然入院した。腎臓が悪いらしい。数ヶ月入院の後、退院して元気な姿を見せてくれた。ただ、なにやら医療器具が入ったポシェットを身につけている。もちろんクラブも引退し、学校と家と病院の生活だったであろう。その後、入退院を繰り返し、あるとき私の近所の病院に入院したので見舞いに行った。ところが、年末だったので一時帰宅したという。見舞いに持っていた数学の絵本を渡しておきたかったので、手紙とともに送った。
 手紙には、私の夢は数学の絵本をつくることであると書き、数学絵本第1号を送った。そして、さちの夢は何なのか、そしてその夢が実現できるよう早く病気を克服してくださいとも書いた。
 さちが卒業して1年後、さちの訃報が届いた。葬儀会場はさちが好きだったぬいぐるみがたくさん飾られ、同級生、クラブの恩師などが参列し最後の別れを惜しんだ。
 若者の死については、知覧や無言館などを訪れた際に遺書などを拝見したことがあり、それはそれで悩ましく悲しいものであったが、平和な世の中で、身近な教え子の死に直面したのは長い教師生活ではあまりないものだ。
 本棚にある数学の絵本を見るたびにさちのことを思い出し、「早く第2号を作らないとあかんやん」というさちの笑顔が浮かぶ。無事、第2号ができれば、さちの位牌の前に飾ってもらおうと思っている。

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