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エッセイ・コラム

ヘイドリアンズ・ウオール(アドリアヌスの壁)にて

志村 良知

 2世紀始め、第3代ローマ皇帝アドリアヌスは、継承した帝国史上最大の領土を旅して勢力拡大の限界を悟った。チグリス河畔で以東の放棄を決め、ブリテン島北部に立って領土はこの辺までとし、そこに北に向けての防壁を作らせた。
 長さ120キロの城壁と付帯の軍事施設、今日のヘイドリアンズ・ウオールには約1万人のローマ正規軍が駐屯したという。壁建設後も壁の北方での戦いは続いたが、壁自体は完璧な抑止力として機能し、戦いに使われることなくローマの撤退まで約300年続いた。
 アドリアヌスがここを北限と決めたのは、ここより北では小麦と葡萄、即ちパンとワインが作れないからだという説が判りやすい。そしてここを撤退したのは国力衰退だった。ローマはどんな辺境の地にいる兵にも国元にいるのと同等以上の待遇を保証したという。しかし、拡大を止めたローマは同時に衰退へと歩み始めたのだった。

 イングランド最北の都市カーライルから東に向かうと、ヘイドリアンズ・ウオールが見えてくる。長さが120キロもあるので、どこを見物したら良いのか迷うのだが、大きな建物と駐車場があるところが観光スポットであろうからまずはそれを探す。
 壁はイングランドの万里の長城とも言われるが、規模はその辺の石垣と変わらず、高い所でも4、5m、巾も2m足らずである。それが野越え山越えうねうねと遥か彼方まで続いている。世界遺産なので一応形を成しているが、所々にあったという浴場付の宿営地や司令部跡は経始が判る程度の石積みしか残っていない。
 壁の上部を歩いてみる。北側は荒れた原野、南側はイングランドの沃野、などという差はなく、どちら側も季節がら赤紫のヤナギランの野っぱらが広がっている。

 壁の上で辺境観光らしからぬ服装の一家に会った。蝶ネクタイの貫録十分なお父さんは子供の一人を抱き、一人と手を繋いでしっかり守り、若く美しい奥さんは北を向いて悠然とコートの裾を風になびかせていた。

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