迷走する大学時代 ―これは(大学とは)の続きです―
受験から解放され、新しい分野の勉強は実に楽しいものであった。都会での一人暮らし、新しい友人や女子学生との出会いなど、まさに映画の世界が展開し始めるような錯覚を覚えるに十分であった。
しかし、夢の世界は長くは続かなかった。医学部突破は難関中の難関であることが現実になってきた。当時の制度では、国立の医学部には一般入試の後に改めて入試があり、理系の学生ならどの大学からでも受験可能であった。事実同級生は入学の喜びもつかの間、猛勉強を始めるものがほとんどであった。
教養学部時代の講義は、必修科目と選択科目からなっており、経済や哲学など未知の分野の授業がおもしろく、かつての旧制高校を想像させるものであった。それに比べ、生物系の必修科目はつまらないものが多く、フォルマリン漬けの蛙の解剖には辟易した。急速に医学部進学の夢が冷めていった。
医学部を諦めると、残る可能性は農学部か薬学部であるが、今ひとつ興味がわいてこない。 公務員か会社員を目標に、法学部か経済学部への転部を考えた。やがて数名の転部を認めると経済学部の発表があった。結局三名が理系から文系に移動した。(一人は同じ会社に入り、もう一人は大会社の社長になった)
経済学部に入ったものの、経済学の知識は皆無に近かった。大学はあと二年半しかない。しかも四年の夏には就職活動が控えている。経済学には興味をそそられたが、時間がなくろくに理解しないうちに卒業したような気がする。
当時東大の経済学部はマルクス経済花盛りで、主要教授陣はマルクス研究者であった。ある教授の経済原論の講義は資本論のはじめの数ページを二年がかりで解説するというものであった。
公務員試験も一応受けてみることにして過去問題集を手に入れたが、全問近代経済学関係で、知らないものばかりであった。やむなく慶応大学の売店に行き、経済学部用の教科書を購入した。この教科書で公務員試験はなんとか切り抜けた。
幸い就職先で経済学の不勉強が問題になることはなかった。大学出の社会人というレッテルは通用した。しかし、不勉強のまま大学を出てしまったことに対する後悔のようなものは残った。退職後、東大の学務課に行き、学士入学の可能性を打診してみた。卒業後時間が経ちすぎているという返事が返ってきた。