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エッセイ・コラム

杜甫の詩

内藤 真理子

 高校時代の友人に「漢詩はいいよ―」と、薦められた。彼女はその頃から、父親の書棚にあるものを読んでいたそうだ。
 言われてみれば、高校時代、テレビの朝の番組で、霞が掛かったような中国の雄大な風景をバックに、漢詩の朗読をしていたのをボーッと見ていたような記憶がある。中国旅行にツアーで行った時には、玉門関を見ながら漢詩を朗詠する一団がいたことも思い出す。漢詩愛好家は結構多いのかも……。
 早速薦められた「新唐詩選」を買って来た。最初に登場するのが杜甫。唐の文学を代表する詩人で、中国の古今を通じて最も偉大な人だと書いてある。読み始めると、本当に「いい!」。風景や心情が短い言葉で溢れ出るように描かれている。
 その中の一つ「江亭」は、不遇な時期の多かった杜甫にとっては、やすらぎの時の詩である。

江亭(こうてい)

坦腹江亭暖
腹を坦(たい)らにすれば江亭の暖かに
長吟野望時
長く吟じて野を望(なが)むる時
水流心不競
水は流るれども心は競わず
雲在意俱遅
雲は在(とど)まりて意は俱(とも)に遅(のど)かなり
寂寂春將晩
寂寂(せきせき)として春は将(まさ)に晩(く)れなんとし
欣欣物自私
欣欣(きんきん)として物は自(み)ずから私(と)ぐ
故林歸未得
故林(こりん)帰ること未(いま)だ得ず
排悶強裁詩
悶(うれ)いを拂いて強いて詩を裁(つく)る

 お腹を上にして寝そべっていると川沿いの家には陽があたって暖かい。調子をつけて詩を口ずさみながら景色を見れば、水の音は聞こえているが、心がざわめく事もなく、空に目を移すと雲が浮かんでいる。私の心も雲と同じようにゆったりしている。何の変化もないような静かな自然のうちにも時は流れ、動物は自らの規律を守りながらそれぞれの生活をしている。故郷に帰りたいが、帰ることが出来ない。そんな悶々とした気持ちを詩に託して、布を縫い合わせるように詩の形にしよう。(私流の訳)
 この詩は、杜甫が四十八才から五十四才まで四川省の成都にいた間の、生活が安定した比較的幸福な時につくられたものだが、寂寂(せきせき)として、や、欣欣(きんきん)として、の表現の中に鋭い緊張感が宿っているように思う。

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