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エッセイ・コラム

二・二六事件(2)プロローグ

志村 良知

 二・二六事件が起きた昭和11年初頭を振り返ってみる。
 満州国を建国し、ソ連の南下への脅威は小康状態。ナチスドイツの勃興によりそれどころではなくなるであろう英国の極東での勢力は衰退し、代わって出てくるアメリカとはいずれ権益を巡って衝突する。その為の国力増強策として外交・軍事両面での更なる大陸進出は必須とされていた。
 国際連盟は脱退したが軍事的には支那事変前で比較的平穏、陸軍は平時編成で、兵役に就いていたのは徴兵検査甲種合格者から徴集されたいわゆる現役兵のみであった。
 世界恐慌に続く昭和恐慌は積極財政策による産業振興で世界に先駆け脱出、インフレ抑制・軍縮予算を編成し経済は比較的順調、岡田内閣支持母体の民政党は2月20日の総選挙で圧勝し、政権も安定。
 階層社会の中で中学の進学率は10%ほど、高等学校や大学に進学できるのはほんの一握りの富裕層の子弟のみ。中流層の子弟の中には中学卒業、あるいは中退して官費の師範学校か士官学校に進む者もいた。決起将校たちの多くもそうだった。
 高等教育機関の学生生徒は兵役免除という特権があり、高等教育を受けられるような富裕層は兵役とは関係なく、戦争一色になる直前の自由と豊かさを享受できる境遇にあった。
 しかし、これは日本に限ったことではないが社会福祉制度は極めて貧弱。階級社会の底辺をなす層、特に貧農層の困窮は深刻で、昭和6年頃からの凶作から立ち直れない東北の農村では餓死者が出、娘身売りが頻発した。決起将校たちの部下には妹が身売りしたという兵もおり、連隊勤務でこうした兵に日常的に接していた彼等の貧しい者、悲惨な状況にある者への同情心は強く、富裕層への反発は強かった。
 彼らは、陛下の周辺にいて下層臣民の辛苦を伝えようとしない悪臣たちこそ諸悪の根源であると考えた。さらに大日本帝國は来るべきアメリカないしソ連との対決の為に国家と軍の近代化整備が急務なのに、それを理解しない政党政治家や、権力闘争に明け暮れる陸軍大学出のエリート軍閥官僚のことも憎悪していた。
 止めとして、事件の中心になった第1師団は満州に移動することが決まっていた。東京を離れてしまえば、彼らが行動を起こして国を救う術は無くなる。

二・二六事件(3)目的とシナリオに続く

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