二・二六事件(3)目的とシナリオ
二・二六事件は、「機関銃まで持ち出しておじいさんを3、4人殺しただけ(丸山真男)」だとして、要人暗殺と擾乱が目的のテロ事件だった五・一五事件と並べて同類に語られることが多い。しかし、動員された人数、事後有罪となった首謀者の数と刑の重さは文字通り桁違いである。以後の歴史に与えた影響も二・二六事件は大きく重い。
二・二六事件は、国体護持と貧民層の救済を目的とし、政権の打倒と天皇親政軍事政権樹立を目標とするクーデターであった。そして、それは失敗した。と考えるのが妥当であろう。
決起将校の最先任だった野中四郎大尉が書いたという「決起趣意書」から、そのシナリオは以下のようなものだったと考えられる。
首相と主な重臣を除去(殺害)して現内閣を完全崩壊させ、さらに首班指名を行う元老を除去し緊急な後継内閣の成立を困難にする。宮中を封鎖して孤立した天皇を擁してクーデター政権を樹立、戒厳令を敷く。
そのために、第一次の殺害目標は、岡田啓介首相、岡田内閣の最大の大物であり首相経験者即ち後継内閣首班最有力の髙橋是清蔵相、同じく首相経験者で天皇側近の齊藤實内相、側近の鈴木貫太郎侍従長、反クーデター派と目された渡邊錠太郎陸軍教育総監、元老の西園寺公望、牧野伸顕。これで内閣は消滅し、後継内閣組閣は通常手段では不可能になる。
占拠する施設は、首相官邸、陸軍省、陸軍参謀本部、陸軍大臣官邸(川島義之陸相の確保)、警視庁、坂下門からさらに宮中。
職務上の維幄上奏権がある川島陸相、シンパと目される荒木貞夫元陸相、真崎甚三郎大将、齊藤劉予備役少将らを立てて参内、宮中工作を行う。その間、警視庁襲撃部隊(500名と複数の重機関銃)で坂下門を封鎖、参内してくる軍民の重臣の選別を行い、クーデターシンパのみ宮中に通す。
天皇を擁してクーデター政権を樹立、戒厳令下に民間や軍内部の国体破壊の元凶を一掃、統制下のマスコミを使って国民を取り込む。
こうしてみると、前半かなりの部分までシナリオ通りに進んでいたことが判る。ただ、このシナリオは、天皇の心は自分たちと同じである、天皇のその思いが実現できないのは、取り巻く悪臣、奸臣らのせいである、天皇親政で全ては解決するという前提に立っている。果たして本当にそうであったのか。また直後に敷く親政の中で自分たちが何をするというシナリオが無く、軍参事官と呼ばれる高官たちに丸投げしてしまっている。クーデターなら憲法でも何でも無視して最後まで自分たちだけでやり通す覚悟が必要ではなかったのか。