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エッセイ・コラム

信号無視で捕まる

内田 満夫

 交差点を通過したとたんにサイレン音が聞こえだしたので、アチャー! と思ったが後のまつり。信号無視で検挙されてしまった。
 出勤途上でのこと、信号が黄から赤に変わる瞬間に、「ええいままよ」と進入した自覚があるから文句は言えない。2点の減点で、罰金9千円を食らう。運が悪かったとの嘆きや、罰金を取られる腹立ちの気持ちなどはいっさい起こらない。ゴールドの勲章が剥奪されるのは悔しいが、淡々と手続きの済むのを待つ。「お急ぎですか?」「急いでやりますので」。巡査の対応もどこまでも丁重だから、お勤めご苦労さまですと労いたいくらいだ。繊細でシャイな少年も、70年あまり生きて面の皮が厚くなったものだ。
 話題に乏しい生活のなかの「貴重な」大事件である。格好よくはないが破廉恥事件ではないので、周囲に言いたくてウズウズする気持ちがどこかにある。このまま自分のなかだけに仕舞っておくのは惜しいのだ。さてどうするか?
 まず職場。普通なら、「事故で電車が遅れて……」とか、「出がけに……があって」とか、挨拶代わりの話材になる。しかし出勤時刻にはギリギリで間にあったのだ。あえて言うこともないと考えなおす。
 次にかみさんだ。「信号が赤に変わってるんだから停まりなさいよ!」とか、「信号をキチンと守らないと危ないでしょ!」とか、普段から散々注意されていた。話したら、「それ見たことか!」とバカにされるに決まっているので、これもダメだ。
 さいわいと言うべきか、エッセイ教室が残っていた。3年前から自分の居場所にしている集まりだ。職場や家族やご近所と隔絶したこの異空間は、こういう時のためにあるのだった。教室のメンバーなら無難だという訳で、この事件を習作のネタににして気が済んだという次第である。
 ちょうど春の交通安全運動が始まったばかりだった。それにしても企業現役の頃、工場で声高に安全運転を叫んでいたのは、どこの誰だったのだろう。

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