作品の閲覧

エッセイ・コラム

ミケランジェロのピエタ

松浦 俊博

 ミラノのスフォルツァ城博物館の一室に、ミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」が置かれている。ミケランジェロのピエタの中ではバチカンにある美しいマリア像の印象が強いが、ロンダニーニのピエタにはずっと強い衝撃を受ける。
 この像の製作は長期中断ののち晩年に再開したそうだが、その際にイエスの位置をマリアに近づけて彫り直している。初めに彫ったイエスの腕が残っており、マリアとイエスの顔も荒削りのままだ。死を予感した88歳のミケランジェロが、視力を失い不自由な体で、手さぐりで彫り続けた作品である。
 ミケランジェロは「大理石の塊の中に彫ろうとしている像が観えるので、その通りに手を動かせば作品ができる」と言った人だ。私が長年にわたり携わった機械の設計でも、脳裏に明確な形状が浮かばなければまともな設計はできない点で類似しており、彼を師匠のように思ってきた。

 25歳のときに彫ったバチカンのピエタの構図では、美しく力強いマリアに抱きかかえられるイエスは生気なく捩れて横たわる。悲しみを抑えたマリアの顔は若々しく透明で美しい。一方、彼女の腕や脚は男のように逞しく、しっかりとイエスを抱えている。

 老年期のミケランジェロの心には変化が生じていた。その結果、バチカンのピエタ像とは異なる像が脳裏に現われはじめ、とくに晩年には更に異なる像が観えたのだろう。ロンダニーニのピエタの最初の構図は、力なくぐったりとしたイエスをマリアが持ち上げるものだったと思われる。イエスの上半身はマリアの右側のかなり離れた位置にあった。晩年に彫り直した構図ではマリアはほとんどイエスの背後にいて、まるでイエスに背負われているようだ。ミケランジェロが、イエスに支えられたいという気持ちになっていたのではないだろうか。
 偉大なミケランジェロでも、いや、偉大だからこそ、心の変化により観える像が変わっていったのだろう。しかし、彼はどの時点でも、ぼやけた像ではなく明瞭な像を観ていたに違いない。素晴しい師匠である。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧