作品の閲覧

エッセイ・コラム

唯識思想 8.悟りは、瑜伽行の実践によってはじめて可能

斉藤 征雄

 唯識の思想体系は、自我や物は存在せず「唯だ、識のみ」とするアーラヤ識論と、三種の存在形態論を骨格とするが、その教えを実践する方法が瑜伽行(ヨーガ)である。

 インドには古くからヨーガと呼ばれる精神統一法がある。起源はアーリア人以前、すなわちインダス文明時代とする説もあるが定かでない。静かに坐して呼吸を調節し心の働きを滅して集中する(止心)、そして静まった心に対象の映像を映し出す(観察)という、いわゆる「止観」によって真理の世界を見ようとする修法である。
 ヨーガの修法はバラモン教をはじめインドの諸宗教に共通するが、仏教にも当初から取り入れられた。原始仏教でいう「戒・定・慧(三学)」はヨーガの修行と共通する。

 仏教の修行者には、ブッダの教えを哲学的に深めて探求するアビダルマ論師と、一方でヨーガの修法によって悟りを得ようとする実践派がいた。後者は瑜伽師と呼ばれたが、唯識思想は瑜伽師の流れを汲む人びとによって強く影響され生み出されたといわれる。
 われわれがこの世に存在すると思う自我や物が、実はすべて識の中の表象を見ているだけで実在しないという唯識観は、単に知識として理解しただけでは意味がない。肝心なことはブッダが体得した言葉を超えた真如を体感することであり、悟りはブッダの体験を追体験することを意味する。
 したがって、唯識観を理解し自分の心の中に定着させて最終的に悟りの境地に到達するには、ヨーガによる段階的な実践があってはじめて可能になるとされるのである。
 このように唯識思想は瑜伽行と密接に結びついているので、唯識の学派は瑜伽行唯識派と呼ばれる。

 瑜伽行唯識派のヨーガの段階的な実践は、五つの修行階梯(資料位、加行位、通達位、修習位、究竟位)に分けられる。悟りへの準備の段階から仏の境地に達するまでの五段階であるが、この修行の階梯はあらゆる大乗仏教の修行論の基本になっているとのことである。
 仏の境地に達するとは、アーラヤ識を含めた八識がすべて智慧に変わること、つまり「転識得智」というが、修行をしたことのない身にはそれ以上のことはわからない。
 ただ唯識思想が、修行論を含めた宗教としてのインド仏教の最後の到達点であることは間違いなさそうである。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧