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エッセイ・コラム

翁の病みて己の生きかたを知ること

浜田 道雄

 昔、都から遠く離れた海辺の街に一人の翁が暮らしていた。  翁は若いときには嫗と一緒に都で暮らしていたのだが、歳をとるにしたがって都の喧騒が疎ましくなり、また昔の面影をなくした都の街並みにも嫌気がさしてきて、仕事を辞めるとすぐに嫗と一緒にこの海辺に移ってきたのだった。

 だが、海辺での二人の暮らしは長くはなかった。この街に移って2年あまりで嫗が急逝したので、翁は一人ぼっちになってしまったのだ。翁はまだ80歳にはなっておらずまだ元気だったのだが、嫗の死ですっかり気落ちしてしまった。翁には嫗のいない人生はもはや何の意味もないようにみえた。一人ぼっちの味気ない日々は、単なる“余りもの”でしかないと思ったのである。

 それからしばらくして、翁は入院することになった。食道にガンが見つかり、手術を受けねばならなくなったのだ。だいぶ前にも同じ病気で手術をしたことがあったが、またその近くに病巣が見つかったのである。  翁は手術を受ける必要があるのか、思い悩んだ。もう80歳にもなっているのだから、自分の余命はそんなに長くはない。手術をしてもしなくても、どうせ生きながらえる時間は変わらないだろう。そんな老人がいまさら手術を受ける必要があるのだろうか。これは無駄な延命治療というものではないか。翁はそう思ったのだ。

 あれかこれかと迷い悩んだすえ、それでも翁は入院し手術を受けることにした。医師の「たしかに手術をしてもしなくても、余命はそう変わらないかもしれない。でもガンは大きくなるから、最後には食べ物も喉を通らなくなり、いろいろと苦しくなる。でも手術して取ってしまえば、最後まで元気でいられるかもしれない」という説明を受け入れたのだ。  翁は長生きしたいとは思わなかったが、生きている限りは寝たきりになったり、呆けてしまったりして、人の手を煩わせるようにはなりたくなかった。最後まで自分の力で生き、そして死にたい。“ピン、ピン、コロリ”とあの世に行くのが一番だ。そう思っていたのである。

 今度も手術はうまくいった。翁はすぐにでも家に帰りたかったが、病後の治療も受けねばならなかったので、手術後10日ほどを病院で過ごした。そこで翁は、自分がどれだけ多くの人たちに助けられているかを知った。  手術をしてくれた医師たち。それをサポートしてくれた医療技師たち。手術中や病室での翁を見守り、世話してくれた看護師たち。そして、毎日病室に翁を見舞い、励ましてくれた友人たち。  みんな、翁が一日も早く回復し、元気になるようにと思いながら、翁を世話し、励ましてくれていたのだ。

 嫗が逝ったあと、翁は「自分は一人ぼっちなんだ。それでいいんだ」と思って過ごしてきたが、実はそうではなく、これまでもたくさんの人たちに支えられて毎日を生きていたと気づいたのだ。

 翁は自分の人生を“余りもの”などと決めつけてはならないと思った。こんなにたくさんの人々に助けられている「命」なのだ。これからの人生を無為に過ごすのでなく、その価値をしっかりと見つめて、前向きに生きていかねばならないと思うようになったのである。

(2018.05.10の「なんでも書こう会」に提出した作品を改作した)

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