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エッセイ・コラム

嗚呼、全国高校野球

岩崎 洋一郎

 毎年、夏の全国高校野球が始まると、私の頭に約75年前のあの想いが想起される。終戦によって、禁止されていた野球ができるという大いなる喜びが16歳の私の血を湧き立たせた。早速、部を復活させて、すきっ腹を抱えながら練習した。
 GHQのマーカット少将は、野球好きで、六大学やプロ野球や中等野球を復活させ、多大な援助をしてくれた。(学制改革の前は、高校野球ではなく、中等野球であった)。終戦の翌年に早くも全国中等野球を開催させた。球場は、甲子園が米軍に貸与されていたので、西宮球場であった。第1回の優勝校は浪華商業で、東京地区代表は高等師範付属中学であった。無敵を誇った浪商の平古場投手から満塁で1点をデッドボールで奪い取ったことは、当時野球界で有名であった。
 実をいうと、この高師付属中と私が属していた成蹊学園付属中学は、前年10月に対戦していた。そして、我が成蹊チームが6回コールド・ゲームで圧勝していた。ということは、6回を終わった時点で、10点以上の差がついていたので、コールド・ゲームの宣告がなされたのであった。

 夏の大会が発表された時、東京地区予選への参加について部内で検討した。参加条件に、お米を2週間分持参することがあった。親たちが、食料をどんな苦労でかき集めているかを、子らも十分知っていた。そんな状況で、2週間分のお米を闇で調達する苦労を親にかけることがどんなことか、十分すぎるほど知っているので、キャプテンであった私は、辞退するこを皆に提案して、全員の賛意をえた。
 東京地区予選で優勝した高師付属校は、中等野球連盟から、前年度惨敗している成蹊と試合して勝ったら東京代表に認めてやる、との命令を受けて、我が校に試合を申し入れてきた。それを受けて、キャプテンの私は部員と話して、やはり辞退することにした。
 申し入れに来た高師チーム代表に「どうぞ、全国大会に行ってください。ご健闘を祈ります」と回答し、笑顔と拍手で送りだした。
 その姿が見えなくなった途端、我がチーム・メイトは、肩を組んで、たまらず号泣した。

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