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エッセイ・コラム

僕の「りんご追分」

大平 忠

 もうすぐ6月24日である。美空ひばりの命日だ。なぜか覚えている。平成元年だったので、昭和が終わったと感じたからだろうか。  僕は、美空ひばりの「りんご追分」が好きだった。歌を歌うのは苦手だったが、会社勤めは営業の仕事だったので、どうしても歌わざるをえない場合があった。そのため、必死になって覚えたのが、美空ひばりの「りんご追分」である。レパートリーはこれ一つ、仲間たちは、僕が歌い始めると、またかという顔をした。上司からは「おい、他の歌も勉強しろ」と怒られた。

 昭和48、9年のある夜、新宿のさるバーで先輩と二人、後輩の二人と待ち合わせをしたことがあった。しかし、待ち合わせ時間が過ぎても後輩たちはなかなか来ない。すると、その頃はカラオケのはしりだったのだろうか、茶筒のようなものをバーのマスターが持ち出してきて、さあ歌おうという。時間つぶしに仕様がない、その新兵器に合わせて先輩と歌うことになった。そして、僕が例によって「りんご追分」歌っていると、突然バーの扉が開いて後輩二人が入ってきた。「やっぱり、大平さんだ」と言うではないか。後輩二人は、店を間違えて2階の店にいたとのこと。すると階下から「りんご追分」が聞こえてきて、僕のありかが分かったらしい。歌う声が聞こえたとは、よほど安物の建物だったのだろう。

 やはりその頃である。鎌倉に住む大先輩が家に会社の仲間たちを招いてくれたことがあった。相当に飲んだあと、みんな順番に歌う羽目になった。僕も、最後に歌わざるを得なくなった。立ち上がって「りんご追分」を歌い始めると、「うお~ん、うお~~ん」と不思議な音が部屋の隅からしてきた。その音の方を見ると、今まで寝そべっていた真っ黒な体格のいいこの家の甲斐かいけんがこちらを向いて唸っているのだった。おまけに、その唸る音程が歌に合わせて上下するのだ。みんなは爆笑した。「大平が犬とデユエットできるとは知らなかった」とかなんとか勝手なことを言う。これには参った。少なくとも全員歌ったのに、犬が反応を示したのは僕だけだったのである。なぜか、今もって理由は分からない。

 今や、声帯も老化し「りんご追分」を歌うこともなくなった。今後珍事も起こることはあるまい。

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