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エッセイ・コラム

山小屋は鶯谷

木村 敏美

 小高い山の頂上にある山小屋の前は谷間のように低くなっているが、谷底にゴルフコースが少し見えるだけで深い森が広がり、自然のパノラマとなっている。森は針葉樹や落葉樹等の樹が混ざっていて季節毎に色彩が変わる。畑を耕しに週二,三回行っているが、疲れを癒してくれるのは常に変化する森の美しさと谷間から吹き上げてくる風の心地良さだ。

 春になると、この森から鶯の鳴き声が聞こえてくる。山小屋に泊った時、朝五時に目を覚ますとすでに鳴いていた。日が長くなっても完全に暮れるまでさえずっているので大変な働き者だが、まだ子供で練習中の時や音痴の鶯は「ホーホケキョ」にならないらしい。確かに時々「あれ?」と思う鳴き声も聞こえる。
 カッコウや山鳩等いろいろ他の鳥の鳴き声も聞こえてくるが、時間も場所もまちまちだ。しかし鶯の鳴き声だけは常に正面にある森の下の方から一日中聞こえてくるが、その姿は見たことがない。
 この森の谷間から 青空に繋がる空間にはいろいろな鳥が飛び交う。ある時渡り鳥の燕が巣作りにきたのか谷間から山小屋の後方を集団で旋回したことがあり、その速さとカッコ良さに目を奪われた。その後も何度か来たが、何処かへ去って行った。いつの日か山小屋に巣作りしてくれたらと思う。又ツガイの蝶々が強風をものともせずつかず離れず飛んでいたり、名も知らぬ鳥や、無数のトンボが踊っているように飛び交ったりする。そうして生き物達が舞う時、常に鶯はさえずって、その声はマイク無しで山中に響き渡る。ここは生き物達のオペラ座なのだ。
 決して姿を見せない鶯は舞台の下で演奏するオーケストラなのか?

 今年の四月思いがけない事がおこった。小学校に入学したばかりの孫を山小屋に連れて行った時、山彦が聞こえるか試したいと言いながら森に向かって「ヤッホー」と何度か叫んだ。山彦はかえらなかったが、鶯の鳴き声が聞こえたので、鶯の鳴き真似をしようということになった。孫が一生懸命声を張り上げて「ホーホケキョ」と言っていると「ホーホケキョ」と鶯が答えるように鳴いたのには皆驚いた。気を良くした孫は一段と声を張り上げ叫ぶとやはりちょっと間をおいてかえってくる。私達もあやかって叫んだが反応無し。
 孫と一緒に叫んでも駄目で、孫の声の時だけ答えるように鳴いてくる。大得意の孫は夢中で暫く叫んでいた。男の子の声はよく透って分かるのだろうか?老化した声は魅力がないのだろうか・・・。私達は少し落ち込み、孫は上機嫌で山を下りた。

 山を下りながらふとある思い出が蘇った。他の孫二人がやはり小学校に入ったばかりの頃、山で手作りカレーを出すと「うまーい」と前の森に向かって大声で叫んだ。それ以来美味しいものを出すと森に向かって叫んでいる。もう一人の孫は、畑の横の空き地に育てていた花が、ある日ブルドーザーで跡形も無く削り取られているのを見て森に向かって「バカヤロー」と叫んだ。子供達にとって森は何か気持ちを受け止めてくれるようなものを感じ叫びたくなるようだ。その頃も鶯は鳴いていたが返事はなかった。今は高校生なっている二人が「ホーホケキョ」と叫んだら鶯は答えるだろうか?孫達が一緒に叫んだ時鳴いて答えてくれたら、鴬少年少女合唱団と名付けよう。

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