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エッセイ・コラム

フェロモンが仇となる

三 春

 この季節、蟻の行列が我が家の居間を横切って行進することがある。マンションのベランダに置かれた植木鉢とキッチンの猫エサ容器を結ぶ線、約8mをせっせと往復するのだ。

 蟻は勤勉と忠誠の代名詞のように言われるから、好ましく思う人もいるだろうが、幼い頃に読んだ「蟻とキリギリス」の説教めいた教訓に反感を覚えたのは私だけではないだろう。
 本来の結末では、キリギリスは蟻に食料を求めたが断られて飢え死にする。「自業自得、因果応報」とも読めるし、「真面目に働いて細く長く生きるか、それとも、太く短く自由気ままに生きるか、選ぶのは貴方です」と言われているようでもある。
 後世の結末では、キリギリスは蟻に救われて嬉し涙をポロポロこぼす。「困っている人を助けてあげる優しい人になりましょう」というありきたりな教育観は、「なぁに、困ったときは他人を頼ればなんとかなるさ」とも聞こえてしまう。やはり蟻さんがクールに振舞ってくれないと、この物語は生きてこないのだ。

 ところで、そんな蟻の「集団自殺」ともいうべき「死のスパイラル」がひところYouTubeで紹介されて話題になったことをご存知だろうか。

 蟻はフェロモンを発することで互いに情報伝達しあうが、一匹一匹は何ら知性を持たない。しかし大集団を形成すると、その情報伝達を通じて「集団的知性」が出現するそうだ。フェロモンを辿ることによって、エサを見つければその場所を他の蟻に知らせ、巣への帰り道をも教えあえる。
 ところがこの優れた習性や能力が時に仇となる。蟻の集団のなかに置いた携帯電話に電話をかけると、磁気の仕業か、それとも振動を感知してか、蟻たちはこぞって反時計回りにぐるぐる歩き出す。蟻は目が見えないから、前を行く蟻のフェロモンを辿る以外に道標がない。いつもならそのおかげでエサの在処と巣とを迷わずに往復できるのに、前を行く蟻の足跡がたまたま円を描くと後続の蟻たちもそれに従って回りだす。我が家に帰りつきたい一心で必死に歩いても、円には終わりがないからやがて疲れ果てて死んでしまう。YouTubeに登場したのはそんな映像だった。

 リーダーがしっかりしていれば皆が幸せになれたのに、リーダーが道を踏み外したばかりに皆を巻き込んでとんでもない羽目に……、人間界にもありそうなことだ。

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