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エッセイ・コラム

密教化するインド仏教 2.曼陀羅の世界

斉藤 征雄

 インドで密教が成立したが、それは新たに密教が生まれたというよりは、中観派や瑜伽行唯識派などいわゆる既存の顕教が密教化したと理解するのが正確である。なぜなら、密教の経典である「大日経」や「金剛頂経」は、教理としては空の思想や唯識思想を根底においているからである。密教はそれらの教理の上に、密教的実践体系を作り上げたのである。

 密教を特徴づけるものに、曼陀羅がある。
 密教は、言葉では表現できない真理の世界を大日如来という仏で象徴する。大日如来は、一切の存在を包摂し、すべての生命つまりこの宇宙を作っている原理そのものである。したがって大日如来つまり宇宙のあらゆるものは、地・水・火・風・空の五つの物質要素および識という精神要素をもって成り立っている。
 この大日如来の宇宙世界を造型的な図画をもって示したものが曼陀羅である。密教の秘密の世界を具体的に目に見える形で表している。
 曼陀羅には、多くの極彩色の仏が整然と配置されて描かれているが、これらの仏はすべて大日如来が顕現した姿であり、宇宙の姿である。それと同時にこの世におけるあらゆる人間の実相を示しているともいわれる。まさに多元的な価値を一つの図画に収めている。
 修行者は大日如来の世界に入り如来は修行者に入る(入我我入)を目指すとされるが、そのシンボルとして曼陀羅がある。密教とは曼陀羅を説く教えといっても過言ではない。

 曼陀羅は種々あるが、「大日経」に基づいて描かれる「胎蔵曼陀羅」と「金剛頂経」に基づいて描かれる「金剛界曼荼羅」が重要視される。日本の真言密教ではこの二つを総称して両部曼陀羅と呼び、一方は慈悲の大日如来を、他方は智恵の大日如来を表現しているので不可分(「金胎不二」)であり、両方を合わせて完全になるとされる。
 しかしインド密教においては、この二つの曼陀羅はそれぞれ別のものとされていたようである。インドにおける密教は呪術の祈祷が中心で、教理的には未熟だった。それが中国に伝わって不空や恵果を経て教理が徐々に整理されたが9世紀中ごろの会昌の破仏によって発展が遮られ、密教は最終的には日本で空海の真言密教によって大成されたと考えられる。

ちなみにインドの密教はチベットに伝わって土俗信仰であるボン教と習合してラマ教となった。空海の真言密教とは別のインド密教の一つの帰結であった。

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