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エッセイ・コラム

おわら風の盆

藤原 道夫

 日が暮れて立ちならぶぼんぼりに明かりがともり、古いまちなみを秋めいた風がわたってゆく。踊り手の一群が石畳の路を静かに進んでくる。左に女、右に男それぞれ数人ずつ、みな鋭角に折れまがった編み笠をふかくかぶり、草履をはいている。女は単物に帯、男は股引に法被のすがた。囃子はあとに続く二胡に三味線と小太鼓。楽器をもたない浴衣姿の男女は交代しながら「越中おわら節」をうたう。雑踏のなかで声はまわりにしかとどかない。最後に男女ひとくみの踊り手、ふたりは右と左とにわかれて典型的な「風の盆」を踊りながら進む。女はひたすら優雅に踊り、男は時にダイナミックな動きをみせる。足音がひびかないだけ、しなやかさが際立つ。この一組のさきになりあとになり、およそ百メートルにわたって見て歩いた。
「おわら風の盆」の由来については、いくらか伝えられているものの、たしかな資料はないとか。この行事・芸能は元禄時代にはじまって今に伝わり、例年9月1日~3日におこなわれる。秋を感じはじめる時季であり、台風のシーズンでもある。風水害を免れるように祈り、また豊作をねがう行事でもあっただろう。日本にこのような芸能がのこされていることに感動した。そして少年時代をすごした西会津の山村でのお盆のことを思いだした。

 村でのお盆は、夕方になってお墓のまえで迎え火を赤々とたくことからはじまる。先祖の霊が家にもどってくる、とこども心に信じた。盆踊りは道路をいれても広くはないところでおこなわれた。踊り手は「会津磐梯山」や「佐渡おけさ」にあわせて櫓のまわりをまわる。とりかこんでいる人々のほうが多く、このときとばかりに話しをかわしていたようだ。子供らは踊りのあいまに夜店で買った花火をたのしんだ。先祖の霊もこれらのひとびとのあいだをゆき交っているのだろう。子供の目に、行事は幻燈のようにすぎていった。旧暦でおこなわれるお盆がおわると、朝夕の風がいちだんとと涼しくなってゆく。

 八尾のまちはたいへんな人出だ。雑踏を気にしてもしかたがない、みな風の盆に魅せられているなかまではないか。古い伝統をうけつぐ「おわら風の盆」は、心のうちに眠る郷愁―とおい先祖にまでおよぶなつかしい思い―を見ている人々に目覚めさせるふしぎなエネルギーを秘めているように感じた。

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