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エッセイ・コラム

単身赴任の効用 ~隠居のつぶやき

西川 武彦

 月曜の朝、薄曇り。既に朝食の食器は洗った。老妻の分を含む二人分だ。乾けば、しかるべき場所に収めればよい。そのあと、食堂とリビングの汚れているところだけを掃除器で清掃した。ベッドの蒲団を直す。チンチンと鳴っている。洗濯機が仕事を終えたのだ。二階のテラスで籠二つに入った洗濯物を棹につるす。
 ふと坂下の二軒先を眺めると、同じ仕事をしている知り合いの奥さんと目が会う。ちょっと照れくさい。
 老妻は、今日も区の手伝いとかで早朝から出かけて留守だ。ほぼ毎日、どこかにご出勤になる。ボランテイアだから収入はないが、とにかく忙しい。
 そういうこちらも趣味三昧で追われているから、すれ違いが多い。三食の手配・用意は、自分も食べるから、老妻がやってくれる。今どきは、冷凍品が揃っているから解凍すればよい。簡単だ。我が家の朝どきの風景である。

 そんなことをやりながら、今朝も単身赴任時代を思い起こしていた。サラリーマンなら、大半の方は経験がおありだろう。筆者の場合、二度体験した。
 最初は、四十代半ばで、香港駐在時代。四年半の後半は、子供の教育と親の世話などで、単身だった。1980年代で、香港の中国返還問題が騒がしくなっていた頃だ。多国籍都市の香港では、ある程度のレベル以上の家では、特にお金持ちでなくても家政婦を雇っていた。駐在員もしかり。昔流にいえば女中さんだ。
 同居もある。「アマさん」と呼んでいた。筆者の場合、週三度の通いの中国人だった。掃除・洗濯のみで、炊事はやらない。アジア・オセアニア地区を飛び回る仕事で、不在が多かったが、時には、日本食を料理して食べていた。アマさんには頼めない家の中の整理・整頓も一人でこなした。

 その後、東京の本社には戻らずに、札幌に単身赴任した。バブルの頃だ。ススキノが最盛期だったろうか、毎晩のように「夜の仕事」に通ったものだ。
 お手伝いさんを使う人もいたが、筆者は、同じ日本人に家の中をかき回されるのを嫌って、炊事・洗濯・掃除をすべて自分でやった。このときの体験が平均寿命をこえた今になって活きているようだから、可笑しい。
 とはいえ、サッチョンである。時には、「アマさん」ならぬ「ママさん」が代行していたかもしれない。三十年過ぎた今では、時効成立…?超高齢者になったご隠居は、国会議員ではないが、記憶にございません、とつぶやいている。(完)

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