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エッセイ・コラム

馬が尿(ばり)する枕元

池田 隆

 鳴子温泉郷を後にして「尿(しと)前の関跡」に着く。伊達藩の番所址に関所風の冠木門や芭蕉像などがこぢんまりと設けられている。芭蕉と曽良は関守に怪しまれ通過するのに手間取ったという。
 関所からは「出羽街道中山越え」と呼ぶ数里に及ぶアップダウンの山道が続く。芭蕉の頃は大変な難コースだったようだが、現在はよく整備され歩きやすい。色づき始めた樹々を眺め、清流を渉りながら歩を進めていく。
 やがて宮城県と山形県の県境(昔の陸奥・出羽の国境)にある「封人(ほうじん)の家」へ到着。封人とは国境を守る人のことで代々の庄屋が務めてきた。建築当初の主要部材を残し昔のままの形に復元されている。土間を入ると右に厩、左に囲炉裏のある広い板の間、その奥に座敷が続く。芭蕉は風雨に遭い此処で二泊した。その時に詠んだ有名な句が壁に掲げられている。
「蚤虱馬が尿(ばり)する枕元」

 囲炉裏端で茶の接待を受けながら管理人さんに「尿(しと)ではないのですか」と訊ねてみた。彼曰く、この地方では小便を「ばり」と言い、この句も以前から「バリする」と発音してきた。芭蕉がその方言を使って詠んだことが阪神淡路大震災のときに発見された「奥の細道」の自筆原本で分かったそうだ。
「では尿前の関もバリ前と呼ぶべきですか」と重ねて訊くと、義経が北の方と生後間もない亀若丸を連れて平泉へ落ち延びるときに、此処を通り奥州藤原氏の支配地にやっと辿り着いた。そのとき亀若丸が安心したようにオシッコをしたのが地名の由来で、馬の小便は「ばり」だが小児や高貴な人のオシッコは「シト」というので、「シト前」で良いとのこと。

 芭蕉が泊まった筈の奥の客間は厩からはかなり離れている。馬の小便は勢いがあり聞こえたかも知れないが、枕元とは大げさだ。蚤や虱はいそうもない立派な座敷である。この句は芭蕉の実体験というより文芸作品として中山越えの苦労を強調するために仕組まれた巧みな創作ではなかろうか。

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