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エッセイ・コラム

深大寺での長月十三夜

藤原 道夫

 旧暦九月十三日の月は、「長月十三夜の月」あるいは「後の名月」ともよばれ、「仲秋の名月」に匹敵して美しいとされる。「後の名月」が十五夜でなくなぜ十三夜なのか、調べたかぎりで説明はみつかっていない。明るいうちに月がのぼり、寒くならないあいだ屋外での月見が楽しめるためだろうか。
 4、5年前に「後の名月」をみるため松島まで出かけた。五大堂のわきに佇んで待つうちに白っぽい月が昇り、高くなるにしたがって黄色味が増してあたりが暗くなってゆく。観瀾亭にも登り、暗くて寒くなるなか、名月を楽しんだ。海に映る月は形をなしていないことを確かめることもできた。
 長月十三日の夕べに、住まいの近くにある深大寺(東京都調布市)門前で催しが行われることはかねてから聞いていた。寺はこの催しを宣伝していない。当日午後6時から開催されることを予め寺務所で確かめておき、この秋に初めて行ってみた。15分前に着いたところ、用意されている300人ほど腰かけられる床几に参加者が隙間なくかけており、立っている人もちらほら。仕方なく予備にもっていたジャンパーを参道の石において腰をおろす。石に温かみを感じる。世話役の方から会のプログラムをもらう。「第二十回 深大寺十三夜観月会」とあり、三部構成。裏に般若心経が印刷されている。
 茅葺きの薬医門は閉ざされており、門の前脇と石段にろうそくが灯る。定刻少し前に門の脇から山主が出てきて、十三夜観月会の開始を告げる。長月十三夜に雨なしとか、今夜も煌々と月が照っている。もうかなり高い。松島でみたあの「後の名月」に勝るとも劣らない。
 定刻6時にギ~ッときしむ音がして門が半開きになり、第一部の開始。僧たちが静々と現れ、5人ずつ向き合って天台声明を唱える。独特の重々しい声が響き渡る。第一部の終わりの方に般若心経を唱えるところがあった。ここで突然ライトがつき、参加者たちも唱和した。
 第二部「月の講話」は講師の都合で中止、替わって松田弘之による能管の演奏が行われた。笛の音が周りの静かな空気を貫くようにひびく。
 第三部は石段を舞台にして「月とうさぎ」のはなし(註参照)が語られた。これはもともとインドの仏教説話で、『今昔物語』に取り入れられてよく知られるようになった。これを基にして良寛が涙しながら長歌を作ったと伝えられている。今回その長歌が語られた。謡も入り、篠笛、能管、琵琶などの伴奏がついた。
 その日は日中晴れ渡って暖かだったが十月も下旬、時間とともに冷えてくる。月はいよいよ冴え、月影が認められるようになった。7時20分ごろに観月会が終わり、月明かりのなかを急ぎ足でバス停にむかった。可哀そうなうさぎのことを想い、ときどき月を見上げながら。

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