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エッセイ・コラム

密教化するインド仏教 4.堕落する末期仏教

斉藤 征雄

 8世紀から12世紀にかけてのインド仏教は、堕落の一途をたどる。
 密教では、衆生はそもそも大日如来と同じ仏性を具有していると考える。したがって単純にいえば、大日如来を念じて真言・陀羅尼を唱えて大日如来と一体化すれば即身成仏できる。まさに現世における幸福、快楽が実現されるのである。

 現世利益が強調されるとやがて、人間の煩悩や情欲は否定されるべきではなくその中にこそ成仏のエネルギーがあるという考えとなっていく。そしてさらに、世の中には男性原理と女性原理があって二つが融合したパワーで神と合一するとの思想に発展し、宗教に性的儀礼が取り入れられるようになる。
 この傾向は仏教よりはむしろヒンズー教などで強く見られ、当時のインドの宗教全体の傾向であったらしくタントリズムといわれる。
 タントリズムは呪術による秘儀的傾向が強い宗教形態であるが、シャクティ(性的な力を意味する)を崇拝するのを特徴とした。

 タントリズムは仏教(密教)にも影響を与えた。左道的部派が現れて、美しい女性に対する愛情が解脱への道と説く。さらには瞑想修行の中で女神との合一を目指すようになる。そして女神との合一は瞑想だけではなく、実際の儀式にも取り入れられるようになっていったという。「五摩事」という儀式がそれであるが、五摩事は、酒、肉、魚、穀物、性交をいう。すなわち、シャクティ(性的な力)が悟りの実現に重要視されたのである。
 仏教は初期の時代から、戒めを守って日常生活を正すことを重視した。最も基本的な項目に五戒がある。不殺生、不偸盗、不邪婬、不妄語、不飲酒である。しかし、五摩事はそれと真逆のことを実践するものであり、それは本来の仏教の思想からすれば堕落以外の何ものでもない。

 その頃のインドの仏教(密教)は、ナーランダー寺院とヴィクラマシーラ寺院が根本道場で、仏教勢力の中心だった。それが1193年にナーランダー寺院が、ついで1203年にヴィクラマシーラ寺院がイスラム教徒によって焼かれ、僧侶の多くが虐殺された。それを機に仏教はインドから姿を消すが、仏教が消滅したことは堕落現象と無関係ではない。

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