インドで何故仏教が消滅したか
中村元博士によれば、インドで仏教が滅んだわけについては次のように整理される。
- ①仏教が合理主義的、哲学的宗教であったため、呪術、魔法のようなものや祭祀までも無意味として排斥し、またインド社会に伝統的なカースト制度にも反対して平等主義を唱えた。このような考え方はインドの民族宗教、習俗と相いれず、インドにおいて仏教はもともと一般民衆に受け入れられない傾向にあった。
- ②仏教教団は、王侯、貴族、富裕商人の経済的支援を受け、僧侶は高尚な哲学や論理に没頭して民衆救済の精神や伝導精神に欠けていた。たとえば、在家信者の家庭に宗教的儀礼を持ち込んで仏教信仰を日常化するなどの努力を怠った。
- ③グプタ朝成立とともに、仏教を支持した社会的勢力が没落、西ローマ帝国の崩壊によって海外貿易が途絶、富裕商人も没落し、支援を失った仏教教団は急速に衰退した。
- ④こうした状況を打開するため、仏教は民衆に近づこうとして密教化したが、同時に仏教そのものが著しく変容し、その一部は極端に堕落した。
そして最後はイスラム教徒の強烈な圧迫が加わって再起できず、インドから姿を消した。
インドにおける伝統的な宗教は、古代のバラモン教を引き継ぎ、土着の民間信仰と融合して徐々に形成されたヒンズー教である。ヒンズー教は、バラモン教の「ヴェーダ」を聖典としカースト制を前提とする。カースト制ではバラモン(僧侶)が社会の最上位を占め、かつてはその権威は政治の長(国王)をも上まわった。
インド社会は長い歴史の中で、強力な政権によって統一された期間は限られ、多くの時代はイスラム勢力の侵入支配や小国分立の状況が続いた。そうした中にあっても社会基盤が損なわれることなく統一が保たれたのはバラモンの宗教的権威によるといわれる。
そういう意味でヒンズー教は、宗教の枠を超えたインド人の思考様式、生活様式、社会習俗そのものであるともいえる。すなわち政治体制がどのように変遷しようとも、ヒンズー教は常にしっかりとインド社会の基盤に根づいてきたのである。
加えてヒンズー教は、教義の体系が希薄で多神教のために多くの神と融合し、たとえば釈迦は三大神の一つヴィシュヌ神の分身と位置付け仏教さえも取り込んでいる。ヒンズー教を中心とするインド社会の側から見れば、バラモン教を批判して成立した仏教ではあるが、その精神はヒンズー教の中で生きていると考えるのかも知れない。