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エッセイ・コラム

ある微笑

木村 敏美

 人生の中で笑顔は、誰にとっても心地よく感じられ、心を癒してくれる力がある。大きな災害に見舞われた時、一日でも早く笑顔に戻れる日が来る事を、皆、願わずにはいられない。
 又、笑顔にはいろいろあり、星の数のように無数にあるような気がする。例えば同じ赤ん坊でも一ヶ月、三ヶ月、半年、1年の笑顔は違うし、幼児期から少年少女になると又変ってくる。
  大人になると年齢的な表われ方ではなく、それまで生きてきた証が出てきて味わい深くなる。数年前某テレビ局の100歳の方達の特集を見た事があったが、どの人の笑顔も素晴らしかった。
 私も沢山の笑顔を見た中で、数ヶ月前にとても印象に残る笑顔に出会った。主人と時々朝食に行くカフェレストランでの事だ。ここの店員さん達は四、五人の交代制になっていて、皆顔馴染みである。二十代から三十代くらいの女性が多く、皆笑顔で迎えてくれ、笑顔で送ってくれる。その中に新顔が入って来た。細身の華奢な身体つきの女の子で、まっすぐな黒髪に帽子をかぶり、色白の小さな顔にはまだ幼さが残っている。ある日の朝、その彼女と偶然洗面所でいっしょになった。大きな鏡の前で、手を洗うのが同時になりふと笑いがこみ上げ、目があったので「おいくつなの」と聞くと「高校生です」と答えた。その若さに驚き、ここで働き始めたのは何故だろうと思いながら「頑張ってね」と言うと嬉しそうな表情を見せ、短い会話を交わして出た。
 そんな事があった数日後、朝食に行くと彼女がいた。私に気がついた彼女はハッとするような満面の笑顔を向けてくれた。その時の笑顔は特別な印象で今も残っている。
 他の店員さん達もいつも笑顔で応対してくれるのだが、あくまで客に対する笑顔だ。その時の彼女はそれとは違っていて、数日前言葉を交わした人への無心の笑顔に感じられた。
 高校生でありながら、何かの事情で働き始めた不安の中、何気ない会話が嬉しかったのかもしれない。その微笑は、子供ではないけれどまだ大人でもない、その短い時期にしか見られない美しさがあった。
 彼女は暫くすると、仕事にも慣れてきて、とても手際よく応対してくれるようになり、制服姿も板についてきた。
 ある時、会員証をレジに忘れた事があった。駐車場の車に乗ろうとした時、彼女が顔を真っ赤にして走ってきて会員証を渡してくれた。お礼を言うと、又あの時の満面の笑顔が返ってきた。日に日に他の店員さん達と同じ様に仕事をこなして、成長していく彼女を見ると、社会人としても立派にやっていくだろうと思う。彼女は、土曜、日曜だけのアルバイトだと後でわかったが、三月に入ってあまり姿を見なくなった。就職か大学受験なのかわからないけれど岐路に立たされる時だ。
 花などの水やりの時に太陽光線の具合で瞬間的に虹を見る事がある。それに似た、あの年齢にしか見られない美しい微笑をくれた彼女。家で彼女の顔を思い出しながら、似顔絵を描いて主人に見せると「彼女だとわかるよ」と言った。これから大人になる階段を元気に登っていって素敵な人生を送って欲しい。

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