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エッセイ・コラム

『深川の唄』 ~ 市電に乗って深川へ ~

野瀬 隆平

 東京の市街を走る路面電車がまだ「市電」と呼ばれていた明治40年頃の話を、先にこのコラムで書いた。永井荷風の『深川の唄』を題材としたものである。停電か故障なのか、乗っていた電車が止まってしまい、やむなく主人公(荷風自身のことであろう)は、茅場町の近くで途中下車を余儀なくされた。

 さて、この男はどうするか。元々行き先をはっきり決めて乗った訳ではない。ただ電車に揺られたいというだけだった。何故か車掌が茅場町から深川行の乗り換え切符をくれたので、深川に行ってみる気になった。
 ここまで眺めてきた沿線の街並が、安易に近代化を進めてきた結果、「美観が散々に破壊された都会」になってしまっていた。そこから逃げ出して懐かしの深川に救いを求めたくなったのである。その辺りのことが次のように描かれている。
「往来の上に縦横の網目を張っている電線が、云ふばかりなく不快に、透明な冬の空の眺望を妨げている。」
 また、俗悪な広告看板にも、「意匠の技術を無視した色の悪いペンキ塗の広告が、ペタペタ貼ってある。」と辟易していた。
「数年前まで、自分が日本を去るまで、水の深川は久しい間、あらゆる自分の趣味、恍惚、悲しみ、悦びを満足させてくれた処であった。」
 淋しく悲しい裏町の眺望、その混沌とした中にも調和があると感じていたので、懐かしい深川へ行くこととしたのである。
 あのころは、勿論電車など走っていなかった。多くの人は蒸気船か櫓船に乗って河を渡った。「佃島の彼方から深川へとかけられた一条の橋の姿に驚かされた。」とある。これは、明治36年に架けられた「相生橋」のこと。

 さて、深川に入って目にしたものは、昔ながらの大道芸人であった。
「坊主頭の老人が木魚を叩いて阿呆陀羅経をやってゐる。」その隣には、「塵埃で灰色になった頭髪をぼうぼう生やした盲目の男が、三味線を抱えて小さく身をかがめながらしゃがんでゐた。」とあり、その男は
「あきィーの夜―ゥ……」と歌いだす。
 調べてみると、端唄「秋の夜」の初めの一節のようだ。

秋の夜は 長いものとは まん丸な 月見ぬ人の心かも
更けて待てども 来ぬ人の 訪(おとず)るものは 鐘ばかり
数うる指も 寝つ起きつ 私しゃ 照らされて いるわいな


 ここで、作者は勝手な想像をめぐらす。この男は生まれつきの盲人ではなく、ある程度の教育も受けたけれど、「九州の足軽風情が経営した俗悪蕪雑『明治』と一致する事が出来ず、家産を失うと共に盲目になった」のだと書いている。
 要するに、古い伝統的な文化を軽視して、安易に近代化を推し進める明治政府を痛烈に批判しているのだ。このように、お上を批判するものだから、荷風作品の一つである『歓楽』は政府の発禁処分を受けたのであろう。
 そして、男は盲人になったのが逆に幸いして、古き良き時代の深川の風情を心の中に留めたままにすることが出来たという表現がある。
「永久に光を失ったばかりに、浅間しい電車の電線、薄ッぺらな西洋づくりを打仰ぐ不幸を知らない」。作者自身の強い思いを反映している。

 深川から去りがたい気持ちを抱きつつ、夕日の沈む方に目を向ける。
「あの夕日の沈むところは、早稲田の森であらうか。本郷の岡であらうか。
 自分の身は、今如何に遠く、東洋のカルチェーラタンから離れてゐるであらう。」と感慨にふけるのである。
 一旦、西洋の文化・学問を学んだ者には、最早そこに戻るしかない運命にあるのだと嘆いている。戻った先には、
「自分の書斎の机には、ワグナーの画像の下に、ニイチェの詩ザラツストラの一巻が開かれたまゝに自分を待ってゐる……」
とここで、この『深川の唄』は終わっている。
 少々きざっぽい印象を受けるが、「深川の町の風情」との対比を際立たせるためであろう。


 これまで、荷風の作品を自ら進んで読もうとはしなかったが、当ペンクラブの「何でも読もう会」で『深川の唄』が取り上げられ、熟読することとなった。そのお蔭で、意外な面白さを発見したというのが正直なところである。
 深川、現在の門前仲町付近は、しばしば遊びに訪ねる場所である。深川不動堂の護摩焚きでの、ずしりと腹に響く大太鼓の音は体が忘れない。辰巳新道にある焼き鳥やで一杯やってから、そば屋へと向かうのもよい。春は、何と言っても両岸の桜並木がきれいな大横川でのお花見だ。

 永井荷風は、晩年京成線の本八幡駅の近くに住んでいた。自宅のすぐ目と鼻の先にある天ぷら屋、「大黒家」を行きつけの店として頻繁に通っていた。
 注文するものはいつも同じ、カツ丼と上新香それにお銚子を一本つける。店の看板娘の孝子さんをはべらせて食事をするのが常であったという。亡くなる前日まで行っていたというから、生涯最後に会話を交わしたのは、その孝子さんであることはほぼ間違いない。
 その大黒家に、数年前Tさんと訪ねた。「荷風セット」と名付けられた同じメニューを頂き、食後に年老いた孝子さんと一緒に写真を撮ったのもよい想い出である。この店も、残念ながら2017年に閉店となってしまった。

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