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エッセイ・コラム

春を告げる菜

浜田 道雄

「今日はなにか、いいものあるの?」
 道端の陽だまりに腰を下ろして、わずかな野菜の束を並べているジイさんに声をかけた。
 そこはこの街一番の商店街のど真ん中。だが、店の多くはシャッターを閉めたままだ。
 そんな戸を閉めた店の前で、二月の陽光(ひ)を浴びながらジイさんはくたびれた顔をして座り込んでいる。顔には深いシワが何本も刻まれている。そんなジイさんだが、私よりはずっと若いにちがいない。

 去年の秋、このジイさんからムカゴを買った。街のスーパーなどでは絶対に手に入らない旬の食材だ。あのときのムカゴは軽く湯がいて塩を振っただけで、秋を味わういいアテになった。
 それに味を占めて、今日もまたいい季節の味があるかと声をかけたのだ。
「フキノトウとアシタバ。アシタバは天ぷらがうまいよ」
 ジイさんはそう答える。立春は過ぎたとはいえまだまだ春は遠く、寒さに身を縮めている日々が続いていた。

「フキノトウ?」
 ジイさんのいる陽だまりから、待ちかねていた春の息吹きがほんわかと立ちのぼってくる。

 春の温み(ぬくみ)いっぱいの菜を買い込んで家に戻り、すぐに料理をはじめた。
 フキノトウは味噌和えにする。サッと湯がいてアクを抜き、八丁味噌とゴマ油で炒める。豆味噌の濃い渋味がフキノトウの苦味を引き立ててくれるに違いない。
 アシタバは、ジイさんは天ぷらといったが、あとの油の始末が面倒だからすくなめの油でサッと揚げよう。パリッといけば口当たりのいい酒の肴になるだろう。

 出来上がった二品に刺身の小鉢を添えて、海を眺めながらのひとり酒がはじまった。
 フキノトウを箸先でつまみ、口に放り込む。ちょっときつい苦味と野の香りが口いっぱいに広がる。
「春の香りだ!」
 腹の底まで春が届く。
 歳をとったせいか、この冬は寒さがきつく春が待ち遠しかった。その待ち焦がれた春がやってきた!そんな想いが身体に染みわたる。

 アシタバはカリッとはしたが、揚げ過ぎたのか口に含むとすぐに砕けてしまって、すこし心もとない。でも若葉の香りは十分楽しめる。春を待つ酒宴のアテにはこれで十分だ。

 ふと見上げると、海も思いなしか春の気配を漂わせている。きびしい冬の間は空と隔絶していた水平線がいまでは空と融け合っている。海の色ももうあの重い鈍色ではない。
 春はもうすぐやってくるのだ。

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