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エッセイ・コラム

フランチェスカの悲恋

藤原 道夫

 イタリア中世のはなし。有力者子女の婚姻は例外なく政略によっていた。リミニ領主の次男ジャン・チョットは粗野で醜く、それに跛行だった。彼の許にラヴェンナ領主の娘フランチェスカが嫁ぐことになる。彼女は美しく、教養も持ち合わせていた。犬猿の仲だった両家の和解策である。花嫁を迎えるために、リミニの使節団がラヴェンナに赴く。その中に美男子の弟パウロがいた。フランチェスカはパウロに出遭うや好意を寄せ、二人は恋に陥る。後日リミニ王宮の一室に二人でいるところをジャンが見つけ、一刀のもとに両人を殺めた。

 『神曲・地獄篇』はダンテがウェリギリウスの案内により地獄で見聞したことが詠われる。第五歌では愛ゆえに滅びた人々がテーマになっている。地獄でパウロとフランチェスカは比翼の鳥と化し、薄暗いなか風に煽られている。近くに飛んで来た時に、ダンテはどうしてそのようになったか訊ねる。パウロは泣いているばかり、フランチェスカが答える。(詩文の訳は藤谷道夫氏による)

愛は、高貴な心に、たちまちのうちに点ずるもの、
恋の炎は、私の美しい身体によって、この人を捉えたのです。
その身は奪い去られましたが、今もその激しい愛は私を貫いています。
愛は、愛されるものが愛し返さぬことを許さぬもの。

・・・・・・
 このあたりの詩文にAmorが二行おきに用いられている。三つ目の行の原文に注目すると、

Amor condusse noi ad una morte.
愛は、私たち二人を、一つの死に導きました。

 一つの死の中心に愛が隠されていることが分かる(下線で示す)。ダンテが一つの死に至る経緯を二人に問う。フランチェスカは涙ながらに答える。

ある日のこと、私たちは慰みにランスロットの物語を、
どのような愛が彼を捕らえたかについて、読んでおりました。
二人きり、どんな危惧も抱かずに。

物語を読み進めるうちに、二人は目と目を交わしては顔色を変え、ついにあの一節に打ち負かされる。それは王妃がランスロットに口づけをしたところ。

私から永遠に離れることのない、この人は
ふるえつつ私の唇に接吻したのです。
その本とその本の作者がガレオットでございました。
その日、私たちは、もうそれ以上、先を読みませんでした。

 フランチェスカが語るのはここまで。
 愛を詩の形として、また心情としてこれほどに見事に表現した詩人・作家は他にいるだろうか。フランチェスカの話に深く同情したダンテは、その場で卒倒してしまう。

 パウロとフランチェスカは地獄に落とされた。ダンテの時代のキリスト教観では妥当だったであろう。これに対して講師の藤谷道夫氏(現慶応義塾大教授)は疑問を挿しはさむ。愛は本来人の生きる力だ。たとえ道ならぬ恋であっても、純粋であるだけに死後当人たちは救われてしかるべきではないか。パウロとフランチェスカを地獄に落とすことはない。氏の考え賛同!

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