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エッセイ・コラム

梅ケ丘の先生

松浦 俊博

 先生のお宅は、小田急線の梅ケ丘で降り、歩いて5分の松原というところにある。大学の航空学科A研究室を45年ほど前に巣立った9人のうち3人くらいが、毎年2回、桜のころと紅葉のころに集まる。私は航空分野から離れたが、残りのうち2人はANAとJALに就職しユーザー側にはせよ航空関係に残った。

 16才年上の優しい兄という感じのせいか、先生の研究室には出来の悪い学生9人が集まった。大勢なので先生のご指導はほとんどなく自由研究、つまり全て自己責任で好きなように進める状態だった。自分でテーマを決めて戸惑うことも多かったが、この経験は役立った。
 先生は年始などに研究室の学生を自宅に呼んでくれた。当時はそれほど立派な家ではなく、大きなテーブルがなかった。ボート部の豪傑が仕切って雨戸2枚を外し、テーブル代わりにして酒を飲む。夜は床にごろ寝して、翌朝、皆で近くの羽根木公園を散歩して酔いを覚ます。先生には男の子が3人いた。自由な育て方をされているように見えた。『ゴリラの飼育法』という本があったのを覚えている。

 先生の魅力はいつも前向きな姿勢にある。退官されたときの集まりでも、過去の輝かしい業績のことではなくこれからの活動の話をされた。退職後に過去の話ばかりする人もいるが、そういう人には「終わっている」という印象を受けてがっかりする。先生からは、留まることなく前に進まれる様子が伝わり元気づけられる。数年前にも考えていることをメモにして送ってくださった。色々な生物に備わった流れをコントロールする仕組みや、流れに関する台風などの自然現象にも触れられ、さらに流れを表現する方法としてエントロピではなく自由エネルギーを用いた総括的な表現を提案されているように思えた。流体という自然と向き合い続けるお姿が感じられた。

 2年前に先生は大病を患われた。腸閉塞・前立腺癌・動脈瘤・血中カリウム異常の4件もの病で、夫々に入院と予後の通院・検査を繰りかえされた。1年後に漸く家の中を歩ける程度に回復されたので、昨年から先生宅の集会を再開した。一切弱音を吐かず「大変だったよ」と笑いとばして楽しい話をされる。出来の悪い3人に囲まれて嬉しそうにしておられるので、これでいいのだと納得した。
 この春も4月8日に集まり、先生から元気をいただいた。いつまで続けられるかなど余計な心配はしない。

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