垣根のうこぎ
ある旅行雑誌の最新号をめくっていると、「うこぎ飯」と題したエッセイが目にとまった。筆者は米沢でこのご飯を食べた感想を記している。
うこぎはウコギ科の灌木で、枝にとげがあり、生垣として植えられることがある。若芽は食用になる。米沢では会津から移封された上杉景勝の時代に家老直江兼続がひろめたようだ。さらに藩中興の祖上杉鷹山がこれを生垣として食材にもするよう奨励したとか。記事を読むうちに西会津にあった実家の垣根の風景が目にうかんできた。
母屋のうらの畑は片側30~40mほどが杭に横木を結び付けた簡素な造りの垣根になっていて、そこに一株のうこぎが植えられていた。秋には垣根沿いに菊や百日草の花が咲く。豪雪地帯のこと、雪に埋もれた垣根が春にはくずれた形で姿をあらわす。その修理をいつも祖父がやっていた。杭を木槌で打ち直し、横木を新しい縄で結ぶ。その作業を中学生になった頃に手伝わされた。独特な縄の結び方を覚え、「それでよい」といわれてとてもうれしい気分になったものだ。
五月半ばに垣根のうこぎがおひたしになってでてきた。苦味が強く、かつおぶしとしょうゆの味に助けられてかろうじて飲みこんだ。うこぎ入りのご飯は食べたおぼえがない。
その時からおよそ40年後、本郷の職場に通っていたときのこと。地下鉄の駅を降りて自分の部屋になるべくはやく着くために、本富士警察署わきの古くて狭い木戸をくぐるのが常だった。構内に入りすこしすすんだところに立派なうこぎが二株あるのに気づいた。未だ勤めていた時の四月末に、ちょうど食べごろの若芽をみてついつい摘んでみたくなり、5,6本持ち帰えった。湯がいて食べると、記憶にたがわぬ苦味が口の中にひろがった。と同時に郷里の垣根のうこぎが思いだされた。
雑誌のエッセイは次のように締めくくられている。「ひとくち食べるだけで雪国の春ならではの滋味がじわじわ広がり、旅人の心をなごませてくれる」。なるほどうまくまとめるものだ。今では「うこぎ飯」の味付けがよく、また副菜もいろいろ工夫されているのだろう。私にとってのうこぎは、滋味をもたらすどころか山村でも食料が乏しかった時のことを思いだす苦い食材だ。昔の米沢では食料事情がより深刻だったにちがいない。そんなことは今や忘れ去られる時がきたのかもしれない。そのうち米沢を訪ねて「うこぎ飯」を味わってみよう。故郷の垣根の風景と重なって心がなごむことを期待して。