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エッセイ・コラム

ある歌集との出合い

大平 忠

 私は、月に何回か、駅前の図書館に出かける。歩いて25分かかるが散歩を兼ねてちょうどよい。建物は2年前に出来たばかりで新しく、読書机も椅子も具合がいい。

 先日、いつものようにゆっくり歩きながら書棚を覗いていた。「俳句・短歌」の書棚に来たとき、単行本の間に小ぶりな歌集が挟まっているのを見つけた。表題の「生かされてあり」に惹かれて、手にとって目を通した。とたんに驚いた。この歌集の著者正木利輔さんは、90才になってから短歌の勉強を始め、昨年98才の誕生日にこの歌集を出したことが分かった。しかも、著者の住まいは私の住むマンションから2分のところにある老人ホームである。その上、私のかかりつけの医者がこの老人ホームの嘱託医なのだ。著者・正木さんは、住まいに近いこの図書館に、歌集を寄贈されたのであろう。
 短歌は、昭和の戦中・戦後から今日に至るその時々の出来事に対する感慨と、家族との生活の変遷、奥様との別れに至る心境、現在の思いなどが、丁寧に詠われている。昭和の時代史であり、かつ濃密な個人史である。私は、短歌の巧緻は分からないが、その内容に引き込まれて思わず時間を忘れた。

 数日経って、診察を受けに病院に行った。かかりつけの医師に正木さんの歌集を図書館で見つけたと話をした。すると、医師は「正木さんはよく知っています」と、すぐに同じ歌集を取り出し、「私はこれを頂きました。この方は素晴らしい方です」とのこと。

 それから3週間後病院へ行くと、医師から「大平さんのことを正木さんに話したところ、喜こばれてこれを預かりました」と、その歌集を頂いてしまった。「謹呈 正木利輔」と一筆が添えられていた。大いに恐縮し、大汗をかいて礼状を書いた。

 歌集のうしろには、略歴が記されている。
 長く福岡の行政に携われ、その後教育長、九州産業大学の教授を務められたことが分かった。7月には99才、白寿を迎えられる。

 跋文に、著者の短歌の指導をされた隈智恵子さんが、こう書かれていた。儒学者佐藤一斎の言葉を引用し、「『・・・壮にして学べば老いて衰えず、老いて学べば死して朽ちず』、将にこの言葉どおりの行き方を貫かれた方だと尊敬して熄まない」

歌集の最初の歌と印象に残った歌二首。
 今朝もまた生かされてあり窓の辺にやさしく二羽の鳩の声する
 兄弟の四人が征きし戦あり残る一人となりて吾在り
 過ぎゆきもいまゆくすえも忘れつつ心無にして果てなむとぞ思う

 このような方と歌集を通じて触れ合うことができたのは、これもまた、セレンディピティと言うべきなのであろう。

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