天童の春
湯面に浮かぶ花びらに、露天風呂より上を見ると満開の桜が夜空を覆っている。山寺の石段登りも無事に終え、天童温泉までの歩程も百花繚乱、まさに北国の春であった。ああ極楽、極楽!
翌朝、旅館で貰った「左馬」の将棋駒をザックにつけ、勇んで舞鶴山へ。山形盆地の東端、天童市にそそり立つ独立峰である。広い池を囲む馬蹄形の地形をなし、中世は山城が築かれ、現在は市民が憩う公園となっている。
早朝から池畔の遊歩道を走る人、歩く人、皆が春を待ちわびていた顔つきである。彼らに薦められ先ずは山頂へ。
目を見張った。濃淡様々な無数の桜が今を盛りと咲き誇っている。彼岸桜、大島桜、染井吉野、八重桜等々、この地では一斉に開花する。枝間には遠く、真っ白な月山がすそ野を広げている。
イザベラ・バードの文学碑を見掛ける。明治初期にこの地を馬で旅した彼女は、「山形の北で平野は広くなり、一方に雪を戴いた素晴らしい連峰が南北に走り、……。この愉快な、ほれぼれとした地方には多くの楽しげな村落が山の低い裾野に散在する。」と綴っている。今も全く同じ印象だと肯く。
その先の平地には人間将棋用の将棋盤が描かれ、それを見下す斜面には立派な石造りの観覧席が設けられている。最上段には桜に取り囲まれ、大きな「王将」駒の石碑が君臨する。昨日は棋戦が行われ大勢の観戦者で賑わったという。だが塵一つ落ちていない。
「なぜ天童が将棋の町になったのだろう?」と疑問を抱き山を下り始めると、織田信長を祀る建勲神社の前に出た。江戸後期の天童藩主が信長の次男、信雄の末裔とのこと。深刻な財政難の藩政を立て直すために、藩主が藩士に将棋の駒作りの内職をさせたのが始まりと分かる。バードがほれぼれと感じた情景もそのような努力の成果であった。
ふいに先ほど見た「王将」の石碑が戦況を見守る信長に思えてきた。「天下布武」で平和な世を目指した信長の夢が、子孫によってこの地で見事に花を咲かせたのだ。