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エッセイ・コラム

一見さんの扱い

藤原 道夫

 京都には「一見さんお断り」という料亭や旅館があることは聞いていた。それはそれで一つの経営方針、他人がとやかくいう筋合いはない。これが最近では変わってきているという話しも聞いたが、 詳しいことは知る由もない。ただこれに関連するかもしれないことを経験した。

 ある年桜も終わった頃に、家内と京都に出かけることになった。たまには日本旅館に泊まってみようと思い立ち、老舗の一つC旅館に電話をしてみた。「一見さんお断り」どころか、いとも簡単に予約がとれた。
 当日旅館に着くと、玄関の真上で広さ八畳ほどの天井の低い部屋に通された。係の仲居さんはいかにも手慣れた年のいった方。檜風呂に案内され、夕食もその部屋で心地よく頂いた。係の方は話しのもっていきかたが上手で、京都のさまざまな行事のことが話題になった。今だと円通院がライトアップされていて美しいという。家内が乗り気になり、食後にタクシーを呼んでもらった。
 円通院の庭園はたしかに美しかった。長谷川等伯の落書きなど院内を一通り見物した後、八坂神社の境内を通り抜け、祇園に出て宿に帰った。部屋に戻ると係の方がいうには「今夜下の部屋が空くことになりました。ここより幾分広く、狭い庭も少し見えます。お客様がご希望でしたらそちらにどうぞ。」こちらは事情がわからないまま下の部屋に移った。そこは上の部屋よりはるかに広く、床の間も美しく立派な造りだった。
 朝の雰囲気がよかった。障子を開けると、庭に広く面した部屋からガラス戸越しに左手に手水鉢、右手に石灯篭が見え、苔や二葉葵で覆われた地面から数本の木が伸びていて緑が目に染みる。これが話に聞いていた京都の中庭か。朝食をゆっくり頂いた。その間人声が聞こえた様な気がしたが、ほんの一瞬だった。

 係の方は私共が路地を曲がるまで見送ってくれた。姿が見えなくなって昨夜来の疑問が大きく脹らんできた。係の方の態度は始終変わっていない。宿代も予約した時と同じだった。旅館側が私共を一見さんからにわかに常連客のように変えて扱ったのだろうか。これが京都の老舗旅館のやり方なのか?しっくりしない気分だった。その後も何度か家内と京都を訪れているが、C旅館は利用していない。

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