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エッセイ・コラム

「…ねばならぬ」

西川 武彦

 八十余年、ずうっと縛られてきた言葉がある。「…ねばならぬ」である。
 幼い頃には、ご飯を残さずに食べねばならぬ、障子・扉を開けたら閉めねばならぬなど、躾に関わる「…ねばならぬ」が多かった。下の用、勉強、睡眠・起床、通学……。「…ねばならない」は、書き連ねれば切りがないほどだ。
 筆者が学生だった高度成長が始まる頃は、大学ではしっかり勉強してしかるべき成績を収め、卒業したらしかるべきところに就職せねばならなぬ。なんとか上場企業に入社すれば、出世競争で勝ち残らねばならぬ。結婚すれば、病気、不倫などで生活を乱さず、しっかりと家庭を守らねばならぬ。老親の介護をして看取らねばならぬ。

 さて、齢重ねて82歳。先輩・仲間が千の風になるのが増えて年賀状が減る昨今、己の身に何が起きても不自然でなく、昔のように表裏のある人生を楽しむ力は残っていない。それでもなぜか心が怪しく騒ぐ。
 …という状況のなか、読書といえば、重たい内容の分厚い本とは概ね縁を切り、昼寝と夜眠る前に、仰向けになって軽い本を読み耽ることが、楽しみの一つとなってきた。
 昨晩読み終わったのは、「軽薄のすすめ」(吉行淳之介)。同じ志向の老人が読んだのか、中古本には、いかがわしい箇所に青のボールペンで線が付いているのが可笑しい。これが終わったら、「ばれてもともと」(色川武大)、「男の不作法」(内館牧子)などが候補に挙っている。遠藤周作のぐうたら物、安岡正太郎のなまけもの物も、シリーズで再読せねばなるまい。
 充実した図書館は近くにないので、年金で賄える範囲の古本を求めているが、千の風になる前に、書斎を整理せねばならぬ。持ち本を増やすのは避けねばならぬという事情もある。「これ以上本を増やしてどうするのよ…」と、年下の連れ合いの目が光っているのだ。
 元々こういう種類の本が大好きだから、初版・重版の段階で買っていた可能性が大だ。乱雑極まる本棚のどこかに寂しく潜んでいるかもしれない。で、ページを捲りながら、読んだことがあるという記憶に悩まねばならぬ。

 つまらぬ愚痴を連ねましたが、企業OBペンクラブに月一のペースで綴って載せていたエッセイも、それを楽しみにしておられる方がおられるようなので、知恵を絞って書き続けねばならぬと、駄文を叩きながらご隠居は呟いています。

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