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エッセイ・コラム

般若心経と自然科学

松浦 俊博

 『悠遊』26号のSさん作品に触発されて、般若心経を読み直してみた。人間を作りだした自然、人間の精神と意識、ひいては苦しみや死への接し方について書いているように思える。自然科学に向き合う者は、自然の中に美しいものを見つけることに喜びを感じる習慣が備わっており、金儲けや出世には執着しない。その点では仏教の修行者と似通っているようだ。

 般若心経に書かれていることは、自然科学がこれまでに見つけたいくつかのこととも符合する。まず、「因縁」と「空」について少し考えてみた。
 学校では全ての物質は原子からできていると教わったが、50年後の現在の通説は、原子は宇宙全体のエネルギーの4%に過ぎず、残りは暗黒物質と得体の知れない暗黒エネルギーだそうだ。暗黒物質は、例えば太陽系が天の川銀河系から離れないための原子ではない物質で、その存在は観測されている。また、暗黒エネルギーは宇宙の膨張速度が加速しているという事実を受け入れるのに必要な謎のエネルギーのことだ。ビッグバンの後に宇宙が膨張して冷えていく過程でエネルギーのほんの一部が集まって原子になったが、残りは異なるエネルギー形態を保っているということだろう。そのわずかな原子の中で、地球に存在する炭素や酸素などは、恒星が爆発してばらまかれた星屑の元素である。それらが人間を構成していることを考えると、「因縁」の「因」(直接の原因)の部分は、まさに「人身得ること難し」であり奇跡とも言える。
「因縁」の「縁」の部分は、人が他の物から影響を受けて生かされるという意味のようだ。人間の構成要素である原子の核は複数組の陽子と中性子で構成されるが、陽子同士は電気的に反発するので、別の引力が働かないと原子核はバラバラになってしまう。グルーオンという素粒子の授受により陽子と中性子の間に引力が働くそうだ。原子自体が相互作用の特性を本質的に持っているのだから、その集合体である人間が他の物と相互に影響しあうのは自然に思える。
「空」は、「色即是空」で親しまれる言葉だが、固定的な実体が永遠に存在しないという意味らしい。自然科学でも、物質を構成する要素は波動と粒子の形態を同時に呈する。つまり物質の形態は定まらないということだ。また太陽では質量をエネルギーに変えているし、エネルギーも質量に戻ることがある。我々の4次元世界では「空」が物質の本質といえる。「不生不滅」はエネルギーが保存されるということに結びつく。

「受想行識」は人間の精神と意識に係る。脳の働きのことで、自然科学では生物か化学分野が中心に研究を進めている。どこまで解明できたのだろう。脳のネットワークはニューロン(神経細胞)の集合であり、ニューロンは神経繊維とシナプス(接続子)から成る電気回路のような作用をしている。細胞レベルの大きさの中に絶縁された信号伝達線やスイッチなどが納められている。
 人間の脳細胞のDNAには「生き延びよ」という指令がインプットされているはずだ。そうでなければとっくの昔に人間は絶滅している。幼児たちを守りたいと思うのも、周りの人たちと協調するのもこの特性による。戦うことも、ひょっとすると「変化を与えて生き延びさせる」ためかもしれない。人間は度重なる絶滅の危機を、変化することにより紙一重でかわしてきたのだから。この仕組みについて科学が解明することに期待したい。

 般若心経に書かれた、苦しみや死への接し方は難解だが、父方の宗派である曹洞宗の『修証義』には次のように明快に書かれている。「生死の中の善生、最勝の生なるべし。最勝の善身を徒らにして露命を無常の風に任すること勿れ」。つまり、「生きている間は思い残すことないように一所懸命に生きなさい。死ぬときは自分で見極め、じたばたしないで従容と行きなさい」ということだと思う。

 自然科学と仏教は、携わる者の価値観に共通する部分が多いと感じる。互いを知ることも意義があるだろう。

【参考】『悠遊』26号の「七十五歳のつれづれ」(斉藤征雄)

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