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エッセイ・コラム

カストリ書房

野瀬 隆平

 かつて吉原の遊郭としてにぎわった一画にその店はあった。
 先週、訪ねた「カストリ書房」という本屋のことである。その名と場所から、およそどんな書物を扱っているかは想像がつく。しかし、カストリという言葉、聞き慣れない人もいるかも知れないので、蛇足ながら若干の説明を加える。

 終戦直後、何事も自由になった日本で、安直な娯楽が求められ、いわゆるエロ・グロ・ナンセンスを扱う粗雑な書物が次々と出版された。
 丁度その頃、質の悪い密造酒が売られていた。酒粕から取るのでカストリと呼ばれたこの焼酎は、「三合飲むと悪酔いして目が潰れる」といわれていたので、この酒の名にちなんで、「三号ですぐ休廃刊になってしまう」この種の娯楽雑誌のことを、カストリ雑誌と呼んでいた。

 さて、この書店を訪ねることになったのは、朝霞に住む友人からTさんという知人がここで「紙芝居」をやるけれど、一緒に行かないかと誘われたからである。
 進駐軍のキャンプがあった朝霞に住んでいたTさんは、自分の家が米兵と日本人女性にその種の宿を提供していたこともあり、子供の頃にそんな女たちの生き様や米兵とのやりとりを間近に見てきた。その様子を何枚もの色鮮やかな絵に描いて記録として残し、さらに紙芝居の形で多くの人たちに語り伝えようと考えた。その発表の場にふさわしい所として選んだのが、このカストリ書房である。

 一方、書房の店主は、今はなき赤線地帯やそのあと風俗店へと変わっていった実態に興味を抱き、日本全国を巡って膨大な情報を集めた。それを公開し関連した本や雑誌を扱う店を数年前に、同じような運命を背負った女たちがいたかつての遊郭の地に開いたのである。
 特定の書物を扱う店に、一体どんな人たちが来るのかと尋ねたら、なんと七割が女性、しかも若い人が多いというではないか。戦争で多くの男性を失った日本で、残された女性たちがどのように過酷な状況のもとで生きて行かねばならなかったのか。同性として強い関心を抱いているから来るのだろうとの店主の説明に、成るほどと納得する。

「紙芝居」のあと、居酒屋が軒を並べる浅草のホッピー通りで仲間と一杯飲みはじめる。ふと視線を外に向けると、道路にはみ出したテーブル席で若い女性たちが、屈託のない笑顔でジョッキを傾けているのが目に入り、何故かホッとした。

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