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エッセイ・コラム

ドッチボール、かくれんぼ、蝉とり「幼き日々への誘い」

木村 敏美

 我が家のすぐ近くに、通称「三角公園」と呼ばれている公園がある。
 ブランコ、すべり台、鉄棒等の遊具もあり、それ程広くないが真ん中に遊べる土地があり、周りには桜の木が植えられている。
 春はお花見、夏は盆踊り大会、冬は餅つき大会で賑わう。
 暖かくなると、夕方この公園には毎日近所の子供達が遊びに来て大きな歓声をあげている。
 ドッチボールの他に、鬼ごっこやかくれんぼ等いろいろやっているようで、暑くなって窓を網戸にすると「もういいかい」の声や「ジャンケンポン」と一斉に言っている掛け声が家の中まで聞こえてくる。この令和の時代、空に届くような楽しげな歓声と「もういいかい」の声は、忘れていた昔の幼き日々へ誘ってくれた。

 埼玉にいた息子一家が、小学一年になる息子を連れて、二年前に我が家の近くに引越ししてきた。この学校では六月にドッチボール大会が親子共々ある。男の子の参加は三年生までなので、公園に来ている子供達は幼稚園児から小学校低学年位までが多く、練習も兼ねてやっているようだ。
 物干し台から見える公園の様子があまりに楽しげで、洗濯物をとりいれながら見入ってしまった。
 ドッチボールの時は、小さい子には当てない様にしたり、リーダーらしき子が教えたりもしている。自信のない子もおずおずしながら少しずつ参加し、見ているだけの子やスマホでゲームをしている子もいない。親や大人の目もなく、年齢も技も様々の中、子供達だけで一緒にやる事で練習ではなく遊びになっている。その延長に、かくれんぼや鬼ごっこ等があるようだ。
 私も小学生の頃、ドッチボールの強い球を胸と両手でしっかり取れた時、嬉しくて歓声をあげていたし、鬼ごっこをした時の姿は、髪をなびかせ大粒の汗をかいて追いかけっこをしている女の子の姿そのままだった。

 七月に入って蝉が鳴き出すと、蝉取りが主流になり、遊ぶ子達も暑さで少なくなった。買い物に行く途中、虫籠をかかえている女の子に「何匹取れたの?」と聞くと「二匹、くま蝉とあぶら蝉」と名前も教えてくれた。涼しい目をして「逃がしてやった」と言うので「えらいね」と言うと笑顔が返ってきた。幼い頃、蝉を捕まえ両手の中に入れた時、羽と足のチクチクした感触や、蛍を捕まえて手の中で点滅する光に見とれていたこと等が思い出される。

 戦後の苦しい社会情勢の中、テレビは勿論おもちゃやゲーム機もなかった時代、暖かくなると、川で泳いだり、木に登って実をとったり、とんぼや蝉を追いかけまわし日が暮れるまで遊んだ。
 豊かではなかったけれど、子供達だけで自由に遊んだ日々がふと蘇ってくる。
 今は遊びさえも大人達のコントロールの下になっていく時代。小さい時からスポーツや習い事をするのもいい事だと思うが、遊びだけの世界も大切な気がする
 大人の目から離れ、競うのではなく、子供達だけの遊びの世界から子供達自身が培っていく事も多いと思う。響き渡る歓声や「もういいかい」「まあだだよ」等の声が、何処かの公園から聞こえる日々が無くならない事を願うのは私だけだろうか。

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